猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

双子の星

 19日の月食国立天文台のホームページを久しぶりに見たところ、「双子の星」についての記事がありました。
 https://www.nao.ac.jp/news/science/2021/20211007-alma.html
 星の周囲に原始惑星系円盤をまだ持っている二つの若い星がたがいに重力で引かれ合って回転している。引かれ合って回転しているのだけど、その原始惑星系円盤の傾きが40度ほどずれている、しかも二つの若い星が動いている軌道はまた傾きが違う、という、研究結果です。
 原始惑星系円盤というのは、これから惑星系に成長するガスやダストが星のまわりをぐるぐる回っているもののことです。太陽系の天体も、太陽のまわりの原始惑星系円盤から生まれました。もちろん地球もです。
 ダストというのは宇宙空間に漂う土ぼこりのようなものです。ダストが高速で地球の大気に飛び込んでくると流星になります。
 やがて連星に成長する二つの星が、これからそれぞれ惑星を持つとしても、その惑星の軌道と、「連星の相方」である恒星の軌道は傾きが違っている、ということで。
 片方の星の惑星から見ると、月(衛星)やほかの惑星が頭の上を通るのに、もうひとつの「太陽」(恒星)は空の北側に見えたり南側に見えたりで、頭の上は通らない、ということになるみたいです。
 連星系の惑星から見て、「連星のもうひとつの星」が、「ちょっと明るい星」として見えるのか、「もうひとつの太陽」としてほかの星をかき消してしまうくらいに見えるのかもよくわからないですけど。

 一つの原始惑星系円盤ができて、そのなかに中心が二つできて、その中心の一つひとつが連星として成長する、という単純な流れでは、この「傾きのずれた二つの原始惑星系円盤」は説明できません。
 別々のところでできた星が原始惑星系円盤を従えたまま出会って連星になるのか?
 もともと一つの原始惑星系円盤だったものが二つに分裂して、それぞれの傾きが変わったのか?
 どうなんでしょう?

 ところで、「双子の星」というと宮沢賢治の童話ですが、賢治の出身地の岩手県の新聞『岩手日報』と国立天文台が包括的連携協定を結んだそうです。
 https://www.nao.ac.jp/news/topics/2021/20211112-mizusawa.html
 博士課程を修了したのに(常勤の)研究職に就職できない「ポスドク」を雇用して、記者としても活動してもらう、という企画のようです。
 岩手県花巻市奥州市国立天文台水沢キャンパスがある)というと、宮沢賢治のほかに大谷翔平選手(奥州市出身、花巻東高校で活躍し、プロに)とも関わりが深いところで、「研究、記者の二刀流公募 国立天文台と本紙 連携協定」という記事のタイトルはそれを意識したものなのでしょう。
 専門知識を十分に持たないひとに、専門的な内容がよく伝わる文章を書くのは難しいものです。
 なので、博士(はくし)としての知識と研究方法を持ちつつ、新聞の読者にも十分に伝わる文章を書く仕事をするというのは、そのひとにとっても貴重な経験の場になるだろうと思います。

たいへん深い部分月食(11月19日)

 11月19日の「たいへん深い、ほぼ皆既の」部分月食、見ました。
 たまたま、仕事その他の都合で東の空がよく見えるところに滞在していたので、月の出から(本影食の)最後まで見ることができました。
 月が昇ったときには左半分(北)が暗くて、「たまたまそこが雲で隠れているのだろう」と思っていたら、ほんとうに左から欠け始めていたのですね。それが、いちばん欠けていたときには右下(東)のほうだけが明るい光を失わず、食(本影食)の終わりでは上のほう(西)だけに影が残っていました。
 地球も月も同じ平面を回っているとすれば、月は地球の影を単純に西から東へと追い抜いて行くはずですが、そうはなっていなくて。
 月が、斜めに、地球の影を横切ったというのが、見て、体感できました。
 月食そのものも見ごたえがあったけど、月って2時間ぐらいでわりと高いところまで昇るんだな、という、わりと単純なことにも感動したりしました。
 いやぁ……。

 ところで、地球の直径はだいたい1万2750キロ、月の直径はだいたい3480キロ、地球と月の距離はだいたい38万キロということです。
 地球を直径1.3センチのビー玉とすると、そこから38センチ離れたところに直径4ミリぐらいのビーズ玉があって(4ミリはビー玉と言うにはちょっと小さい気が…)、その直径4ミリのビーズ玉にビー玉の影が落ちている、という状態です。ちなみに、38センチというと、B4の紙の長辺よりちょっと長い程度です。なぜ知ってるかというと同人誌の割り付けをやってるから……とかいうのはどうでもいいな。
 そういう状態が一年に1~3回起こる、というのは、頻繁なのかどうか。

 今回の月食が「深い」ということが報道で強調されていましたが、「部分月食としては深い」ということで、「部分月食だけど皆既月食にならないぎりぎり」の「ぎりぎりさ」がとくにすごい、ということです。いちばん深い月食は、皆既月食で、しかも地球の影の中心が月の中心を通るような月食です。このときには月はとても暗く見える、ということらしいです。
 ところで、月食の前後一か月のあいだには日食も起こることが多い。
 今回も12月4日に皆既日食が起こりますが。
 見ることができるのは南大西洋南極大陸の近く~ニュージーランドとオーストラリアの南の端あたりなので、日本では見ることができません。
 次回に日本で見ることのできる月食は来年の11月8日で、(本影食は)18時8分ごろ開始、21時49分頃に終わります。しかも、19時16分から20時42分まで、1時間半ほど「皆既」が続きます。さらに、月食の途中で、天王星が月に隠され始めるのが見えるという珍しい状況です。天王星が月の後ろから現れるのは月食終了後です(なお天王星食そのものは来年の2月から2023年の2月ごろまで起こります)。
 日食のほうは、来年は地球全体では、2度、部分日食が起こりますが、2度とも日本からは見えません。2023年には「金環皆既日食」というわりと珍しいパターンの日食が4月20日に起こり(一回の日食で金環食の地域と皆既食の地域がある)、日本でも一部の地域で「浅い部分日食」として見えます。

 日食・月食・惑星食のデータは:
 

eco.mtk.nao.ac.jp

ミスで重複投稿してしまいました

 ミスで重複投稿されてしまいました。すみません。
 後ほど今日じゅうに対処します。←と書いていたのに当日(16日)中に対処しなかったやつ……。
 重ねてすみません。
 こちらに重複投稿してしまったものは削除しました。本文は:

 「制服コミュニケーション3」に参加しました - 猫も歩けば...

です。よろしくお願いします。

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 それだけ、というのもなんなので、もうすこし書きます。
 新型コロナウイルス感染症の流行がいちおう落ち着いているみたいで、飲食店の営業が元に戻ってきているのは嬉しい限りなんですが。
 私が行った店に限ったことなのかも知れないけど。
 なんか店員さんが忙しそうだな、と感じることが多いです。
 「コロナ禍」で店員さん減らしちゃったのかなぁ。それだけでなく、「お客さんが店にいっぱい」の状態に応対するためのいろんなものを削って、それを戻せてないのかな、という感じもします。
 お客として見ているだけの感想なので、よくわからないですけどね。
 外国の動向を見ていても、よほど注意しなければ再流行は来そうな感じで。
 その、年末ごろにまたイベント開催規制とかになると困るな、と思っていますけど。
 それとは別に、「経済活動」を初めとして、いろいろな人間の活動が「コロナ禍」前に戻るのはたいへんだし、いろいろと自覚的にがんばらないといけないのだろうな、とも思っています。

「制服コミュニケーション3」に参加しました

 10月31日のハロウィンの日、東京浜町のプラザマームで開かれた「制服コミュニケーション3」にサークル参加しました。昨年に続いて二度めの参加です。
 プラザマームは浜町駅の近く、「金座通り」に面した会場です。いやぁ、「銀座」があると思ったら、やっぱり「金座」もあったんですね。
 ところで、「制服コミュニケーション」では、サークル参加者には少し離れた人形町駅の利用を推奨していて、なんでだろうと思っていたら、プラザマームに近い出口は階段が長いんですね。サークル荷物を持ってここを上がるのはたいへん、ということでしょう。
 こういうところも、とても親切なイベントです(なお、明治座側の出口だとエレベーターがあるとのことです。ただし遠回りになります)。

 手指消毒、靴底消毒マット踏み、検温、参加登録受け付けなどを経て、サークルスペースに着くと、主催さんからサークル宛のメッセージが届けられています。一読すれば参加サークルのことをよくわかって書いてくださったことがよくわかります。すごいなぁ、と。

 今回の「アトリエそねっと」の新刊は『千鶴のいちばん長い日』でした。
 400ページあるから自立するだろうと思っていたら、やっぱり自立しました。
 去年のこのイベントの新刊『千鶴とりゆ先輩』の続き(翌日と翌々日の物語)ですが、『千鶴とりゆ先輩』は読んでいなくても物語はわかります。
 こちらの世界では1年経ったのに、作品のほうでは2日しか経っていない…。
 ところで、吹奏楽団のことを「ブラスバンド」と言いますが、ブラスバンドというのはもともと「金管打楽器バンド」のことです(木管が入っていない)。
 そこで、「学校吹奏楽で、金管打楽器バンドで、しかもマーチングバンド」という楽団の物語を書いてみました。

 反省点は(いろいろあるけど)カバーの紙の選択で、「星物語」というキラキラの入った紙を選んだんですけど。
 「星物語」自体は好きな紙なので私は使う機会があれば使っているのですけど(『日本史研究室の午後』もそう)。
 そのキラキラが輝かない角度で見たら、イラストの顔や服の白い部分に砂のような点々が入っているように見えるんですね。
 うーん。
 次からはちょっと考えよう。
 あと、カバーの背幅の余裕をちょっと取り過ぎたかな、ということもあります。

 イベントは、くじ引きがあったり、スタッフとじゃんけんしてくじ引き券が当たる企画があったり、じゃんけん大会が突発したりと、さまざまな企画があって楽しいイベントでした。
 イベント関係グッズや、スタッフさんのサークルの本も充実しています。スタッフさんたちの制服への愛とこだわりがすごい。参加者も同じです。それで、和やかで楽しい雰囲気のなかでイベントの時間がすぐに過ぎてしまいました。

 ところで、私が子どものころを過ごした街、つまり制服のお兄さんお姉さんたちを見上げながら過ごした街の実在制服を採り上げていらっしゃるサークルさんも来ていらして、少し話をしました。子どものころ、私が「こんな制服のお姉さんっていいな」と思って見上げていた制服が、じつはその学校の現役の生徒たちには評判が悪いと聞いて少しショックでした。
 まあ、わからないでもないけどね。

 あと、個人的に嬉しかったのが会場BGMでした。『赤ずきんチャチャ』のオープニングとか『姫ちゃんのリボン』とか、『勇者王ガオガイガー』とか。「こういう音楽といっしょに(同人活動を)やってきたんだな」という感慨が深かった。イベント終了時が『チャチャ』のエンディング(二代め)だったのは偶然でしょうけど。
 家に帰ってからも幸福な気分で、頭のなかを音楽が回り続けていました。

 主催・スタッフのみなさま、参加者のみなさま、ありがとうございました。
 次回も来年のいまごろ開催されるのだそうです。
 今回は、私は、即売会サークル参加の勘がまだ戻っていなくて、いろいろと不手際も多かったのですけど……来年までにはもう少し勘を戻せているだろうと思います。
 またみなさんには次回開催時にお目にかかりたいと思います。
 それまでお健やかにお過ごしください。

ダークマターの日

 ハロウィンだったり、「制服コミュニケーション3」が開催されたりした今日ですが。
 「制服コミュニケーション」の参加記は別に書きたいと思います。
 それで。
 行ってきましたよ、投票。
 いつもの投票所に来ている人がいつもの選挙より多かったという感じでした。もっとも、行った時間がいつもより遅いということもあるかも知れませんが。
 でも、選挙への関心はこれまでと比べて高かった、と言っていいんじゃないかな、という感触でした。

 さて、それとともに、今日は「ダークマターの日」なのだそうです。
 https://www.kek.jp/ja/special/dark-matter-day/
 なぜ今日なのかはよくわかりませんが。
 Trick or Treat.
 「ダークマターをくれないといたずらするぞ」
 ダークマターは、人間の手で集めて差し出すことはできないので、いたずらされるのは不可避と思われます。
 「お菓子をくれないとダークマターをまき散らしていたずらするぞ」
 同じく、ダークマターは人間の手で集めることはできないので、まき散らすことはできません。また、ダークマターは人間にはほとんどまったく影響がないので、あんまり「いたずら」にはならないと思われます。

 ダークマターは「幽」な物質、というのがいいのかな、と思います。
 日本語では、「暗黒物質」よりも「幽物質」のほうがいいと思う。
 「幽」とは、「幽霊」もそうですし、「幽玄の美」とかいうばあいも、「かすかな」という意味です。
 「かすか」な物質、あまりに「かすか」すぎてどうやっても感知することのできない物質、でもたしかにそこに存在する物質、それが「幽物質」であり、ダークマターだということです。

 江戸末期の国学者平田篤胤は「幽」な世界の存在をいろいろと考察しました。
 平田篤胤は「幽」な世界を、大略、次のように説明しています(記憶に頼って書いているので細かいところは違うかもしれません)。
 「家のなかで、暗い部屋からは明るい部屋の様子がよく見える。しかし、明るい部屋からは、暗い部屋はただ暗く見えるだけで、そこの様子はよくわからない」
 明るい部屋で大人たちが宴会をやって大はしゃぎしている。子どもが暗い部屋に一人残されている。大人からは、暗い部屋で子どもが何をやっているかわからない。しかし、暗い部屋の子どもからは、明るい部屋で大騒ぎしている大人のだれが何をやっているか、ぜんぶ見えている。
 そういうたとえです。
 その「暗い部屋」にあたるのが「幽」な世界、幽界だということです。
 それは私たちの世界から遠いところではなく、まさに「明るい部屋」にあたる私たちの世界に接するように存在しているという。
 そのたとえで言えば、現代の物理学・天文学などでいう「ダークマター」は、極めつきの「幽」な物質なのです。

 私たちは「明るい世界」に住んでいます。「光」でものを見て判断することのできる世界です。
 この「光」には紫外線や赤外線、エックス線や電波まで含みます。目で見える光で見えないものでも、紫外線や赤外線やエックス線や電波で見れば見えることがあります。
 ところが、ダークマターは「光」ではほとんど見えない。紫外線や赤外線やエックス線や電波でも見えない。
 しかし、存在していることはたしかなのです。
 しかも、宇宙の遠くに存在しているだけではなくて、私たちの身の回りにも存在している。
 平田篤胤が言った「幽」の世界のように、明るい場所からは見えないけれど、私たちのまわりに、私たちの世界に重なって、たしかに存在しているわけです。

 「幽」な物質といえばニュートリノが思い浮かぶかも知れません。
 ニュートリノも「幽霊物質」と言われます。しかし、ニュートリノは「電気を帯びていない(電荷がゼロの)電子」です(ここでは「電子ニュートリノ」という種類のニュートリノに話を絞ります)。したがって、ニュートリノが電気(電荷)を獲得すれば電子になります(これもややこしい問題がいろいろありますが、今回は省略です)。

 ところで、「光」で見えるのは電気を帯びている(電荷を持っている)物質だけです。
 いやいや。電気を帯びてないものも見えるでしょ? 身の回りで見えているものが電気を帯びていれば、何に触っても感電してしまって、危なくてしかたがない。でも、実際には、身の回りで、普通に光で見て見えているものに触れて感電することはありません。
 だいたい、自分の身体そのものが目に見えるのだから、自分の身体も電気を帯びているはずだけど?
 だから、光で見えているものも、電気は帯びているとは限らないのでは?
 いや。
 それは、物質のなかでプラスの電気(電荷)とマイナスの電気(電荷)が釣り合っているから、全体としては電気を帯びていないように感じる。
 「明るい世界」、つまり「光」で見える世界の物質は、さまざまな種類の原子核を、電子がいくつかの方法で結びつけてできています。原子核はプラスの電気を帯び(プラスの電荷を持ち)、電子はマイナスの電気を帯びて(マイナスの電荷を持って)います。
 身の回りの物質のなかで、原子核のプラスの電気と、電子のマイナスの電気は、原子核を結びつけるために使われていて、物質の外にはほとんど出てきません。
 むしろ、電気が物質のなかでプラスかマイナスに偏っている状態にして、電気が外に出て来る状態を作るためには、発電機や電池を使ってエネルギーを与えなければいけないわけです。
 したがって、身の回りの、目に見えているほとんどの物質に触れても感電しない(もちろん触れると感電する物質もありますよ!)。
 しかし、「光」(紫外線や赤外線やエックス線や電波も含む)は、物質の細かいところまで入り込んで、原子核や電子(主として原子核から遠いところに存在する電子)の持っている電気(電荷)に反応するので、「光」で見える、ということです。

 で、ニュートリノは、「プラスの電気を帯びている部分とマイナスの電気を帯びている部分が釣り合っている」状態ではなく、完全に電気を帯びていない(電荷がゼロ)の物質なので、ニュートリノ自体を「光」で見ることは絶対にできません。
 しかし、ニュートリノは、原子核や電子とは「たいへんまれに、ごくたまに」程度ならば反応を起こします。その反応が起こると電子などの「光」で見える物質を生み出し、さらに「光」で見える現象を起こすので、それを観測することでニュートリノを検出することはできます。
 だから、とてつもなく手間がかかりますけど、ニュートリノを検出することはできます。

 ところが、ダークマターを構成する粒子というのは、それ自体は「光」とは反応しない。さらに、原子核や電子とはまったく反応しないか、とても反応しにくいと想定されます。つまり、「光」で見える現象をまったく起こさないか、とてもとてもとても起こしにくい。
 「光」の世界、明るい世界からは、そこに「幽」なものが存在するのはわかっていても、それが何か、どういう性質のものなのかは、とてもわかりにくい存在なのです。

 まあ、それはそうです。
 ダークマターは、20世紀になるまで「こういうものが存在するのではないか?」という疑いさえ生まれてきませんでした。
 20世紀にも、ダークマターはじつは「光」で見える物質で、それが見えないのは私たちの観測能力が十分でないからではないか、という疑いが消せませんでした。しかし、観測能力も向上して、「「光」で見えるはずなのに観測できない物質」がダークマターの一部分だとしても、とてもその全体であるはずがないとわかってきたわけです。

 では、「光」で見えないのに、どうしてそんなものが存在するとわかったのか。
 それは重力によってです。
 私たちがいる銀河系とか、アンドロメダ銀河とかは、数千億の星やガス・ちり(ダスト。土ぼこりのようなもの)が集まったものです。こういう集まりを「銀河」といいます。
 「銀河」というともともと「私たちの銀河系」のことなので、「私たちの銀河」を指すときには「天の川銀河」と言ったりしますけど。
 その、「天の川銀河」自身も、「天の川銀河」以外の多くの銀河も、観測してみると、「光」で見えている物質の重さ(質量)を推定して合計しても、その銀河自体の重さ(質量)に及ばない、ということがわかってきたからです。

 いや。
 遠くの銀河の重さなんてどうやってわかるの?
 私たちの銀河(天の川銀河)を含めて、渦巻きっぽい形の銀河は回転しています。また、整然と回転していないにしても、一つひとつの星の動きを確かめることができます。その回転とか、「回転」より複雑な動きとかは、その銀河がどれくらいの重力を持っているかで決まります。ものがどのくらいの重力を持つかは、それがどれくらい重い(どれくらいの質量がある)かで決まります。それによって、銀河の重さ(質量)を推定できるのです。

 一方で、星は「光」を出していますし、ガス・ちりも星の光を反射したりして「光」で観測できます。かつては観測は目に見える光(可視光)が中心だったので、目に見える光(可視光)では見えない物質は「「光」で見えるはずだけど、地球からは見えないものではないか?」という疑いがあった。
 ところが、いまではエックス線も電波も紫外線も赤外線も精密に観測できますので、「光」を出す物質はだいたい見ることができる、少なくとも「存在を推定することができる」程度にはなって来ました。
 そうすると、「光」を出す物質がどれくらいあるかが推定できるようになります。
 そうやって計算した「光」に反応する物質の量が、銀河の回転とか星の動きとかから推定した銀河の重さと大きく食い違う。

 その差を埋めるものとして「ダークマター」の存在が確実と見られるようになったというわけです。

 ここまで書いて「ダークマターの日」が終わってしまいそうなので、今回はここまでとします。

「制服コミュニケーション3」に参加します

 10月31日は大きなイベントのある日です。
 もちろん第49回衆議院議員総選挙です。(タイトルと違うじゃん!)

 「あれ? まだ49回め?」と思ったのは私だけ?
 だって、19世紀、20世紀、21世紀と三つの世紀にまたがってやってるんだよ、衆議院の総選挙。
 でも、「常に任期満了総選挙」だったとすると32回ぐらいをやっているはずなので、その5割増しくらいの回数をやっているということは、「衆議院解散」という制度の効果がそれだけあるということですね。

 で。
 10月31日には「制服コミュニケーション3」が開かれます。
 https://cc.uniformkiss.com/index.html
 B09「アトリエそねっと」です。
 こちらも、一年一回のイベントです。衆議院議員総選挙の2.5倍ぐらいの頻度ですが。
 よろしくお願いします。

 これまで書いたもののうち、中学生・高校生の物語をお持ちします。
 ○明珠女学館中学校・高校シリーズ
 『明珠女学館第一高校春物語 1 二月の雪』
 『明珠女学館第一高校春物語 2 友加理のひな祭り』
 『明珠女学館第一中学校春物語』
 『ネコ まこ ロンド』

 ○瑞城女子高校シリーズ
 『千鶴とりゆ先輩』
 『千鶴のいちばん長い日』【新刊】

 ○ノンシリーズ
 『晴れやどり』
 『未融と瑠璃』

 「ノンシリーズ」という表現は、早川書房クリスティー文庫で、アガサ・クリスティーの作品中、ポワロ(クリスティー文庫では「ポアロ」に統一)、トミー&タッペンス、ミス・マープル、パーカー・パイン、ハーレ・クィンなどの「レギュラー名探偵」が登場しない作品を指す表現ですけど(「ノン・シリーズ」)。
 バトル警視とかミセス・オリヴァーとかは(他シリーズを含めて)複数作品に登場しますけどね。

 それはともかく。
 アトリエそねっとの新刊は『千鶴のいちばん長い日』です。
 もう、当日、ねこのしっぽさんから届けていただいたらすぐに余裕で自立する予定ですよ。400ページありますよ(そういう意味でした)。
 『千鶴とりゆ先輩』に出てきたマーチングバンド部員千鶴がさらなる事件に巻きこまれ、一度は引退を決意するものの、仲間たちが千鶴を引き留めるために集まりを開く…というお話です。
 閉鎖空間で密になって長時間飲食するので、いまはできないなぁ、これ……。
 よろしくお願いします。

 ちなみに選挙はイベント終了後に帰宅してから行くことにしています。
 期日前投票もかなり便利にできるようになっていますが、できれば選挙当日に投票したい、という気もちもあって、のことです。

即売会参加予定

 10月より同人誌即売会へのサークル参加を再開しています。
 先週土曜日(16日)には福生の第3回TAMAコミにサークル参加しました。第2回に続く参加です。会場のサークル配置も、雰囲気もゆったりした即売会で、この「ゆったり」感がずっと続いてほしいと願っています。
 このときは、直前があまりにも忙しくて告知ができませんでした。
 さて、次の日曜日(24日)には、ビッグパレットふくしまで開催されるみちのくCOMITIA7に参加します。
 F8「アトリエそねっと」です。
 https://adv-kikaku.com/comitia/
 今回合わせの新刊はありませんが、2020年以来刊行したものをお持ちします。また、TAMAコミの新刊『日本史研究室の午後』(8月に「カクヨム」に掲載したもの)もお持ちします。
 みちのくCOMITIAではこれまでいろいろな出会いがありました。昨年は「委託のみ」になってしまったのが残念でした。今年は直接参加がかないます。感染対策をしっかりして参加します。またいろいろと出会いがあればいいな、と思っています。「カクヨム」に掲載した『荒磯の姫君』(「上」が完結、このあと「中」を掲載します)をはじめて世に出したのがこのイベントの前身となる「創作旅行」でした。
 そして、その次の日曜日31日は「制服コミュニケーション3」に参加します。
 https://cc.uniformkiss.com/index.html
 昨年初めて参加しましたが、楽しいイベントだったのが印象に残っています。こちらはこのイベント合わせの新刊があります。来週になったらまた告知したいと思います。
 どうかよろしくお願いします。