哲学
前にも採り上げた(id:r_kiyose:20060923)江澤増雄『教会ラテン語への招き』のなかに、「聖体拝領」という儀式の説明がある。カトリック信者でない私には「聖体拝領」というのが具体的にはよくわからないけれど、パンと葡萄酒をキリストの血と肉としていた…
というわけで、柄谷行人さんの「マルチチュード」論を読んでみて(id:r_kiyose:20060911)、もういちどネグリとハートの「マルチチュード民主主義」論を読み直してみないとな、と思って、読み返してみた。 で、感じたのは、やっぱりもう一つよくわからないな…
柄谷行人さんは『世界共和国へ』(岩波新書、isbn:4004310016)でネグリとハートの「マルチチュード」論を批判していた。 今回、読み直してみると、柄谷さんの批判は、ネグリとハートの「マルチチュード」論は、プロレタリア革命論のプロレタリアートを「マ…
ということで、昨日(id:r_kiyose:20060908)につづいて「マルチチュード」の話の続きである。 私が「マルチチュード」論の概要を知ったのは、檜垣立哉さんの『生と権力の哲学』でだった(この本のことは id:r_kiyose:20060802 に書いた)。この本を読んだと…
ネグリとハートが提起している「〈帝国〉」状況にも似たような面があるのではないか。情報不足の「〈帝国〉」上層部――まあ現在はそれがアメリカ合衆国だったりするわけだ――が、状況に正確に対応できない問題解決策を出して、事態をさらにこじれさせてしまう…
さて、廃線跡めぐりは夕方で切り上げるので、宿に帰ってから読もうと思って持って行ったのがネグリとハートの『〈帝国〉』と『マルチチュード』(上 isbn:4140910410 、下 isbn:4140910429)だった。けっきょく読めたのは『マルチチュード』だけで、しかも帰…
一昨日、「また明日……とか書いていると、明日書く時間がなかったりするんだよなぁ」と書いた(id:r_kiyose:20060802)ら、そのとおりになってしまった。やれやれ。 そこで書いたのは、昔は、「権力」は、神とか王とか「自然」とか、何か人びとが生活している…
現代世界の権力論を、フーコーから始まって、ドゥルーズ(+ガタリ)、アガンベンと渡り、ネグリ(+ハート)の「帝国‐マルチチュード」論へと結びつけるという構想の本である。 発想は東浩紀(id:hazuma)・大澤真幸『自由を考える』(NHKブックス、isbn…
宮台真司さんと北田暁大さん(id:gyodaikt)の対談本。2004年春から2005年春まで、ほぼ1年、4回にわたって行われた対談に、半年ほどかけて2人が加筆して構成した対談集である。宮台さんのことはよく知らないけど、北田さんのほうは、この対談が進んでいるあ…
私がこの本の存在を知ったのは、東浩紀・大澤真幸『自由を考える』(同じくNHKブックス)に収められている最初の対談がこの本の出版を記念して行われたものだったからだ。 あとがきに「本書は9・11テロの衝撃のもとで書かれた」とある。たしかに、事件に…
昨日、自分で書いたことで、自分でちょっと気になったことについて。 私は、社会の動きとかの「本質」はずっと以前から社会のなかに隠れていて、それが状況の変化で表に出てくる――という考えかたをしがちだと書いた。「社会が全面的に変わって新しい段階に進…