猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

「政治」体制の伝統的な三分類

 古典時代のギリシア以来、政治体制は、君主制・貴族制(または寡頭制)・民主制に分けるのが普通です。ロックやルソーの時代まではその区分が使われています。支配者が一人のばあいが君主制支配者が少数者のばあいには貴族制支配者が多数者または国民(都市民)全員のばあいには民主制とするわけです。
 なお、貴族制 aristocracy ということばには、もともと「すぐれた者の支配」という意味があったらしく、その意味を避けるためには寡頭制 oligarchy という表現が使われます。ロックは「寡頭制」のほうを使っています。貴族制 aristocracy が「(少数の)すぐれた者の支配」なので、「寡頭制」というと「少数の悪いやつらの支配」というニュアンスがつくこともありますが、ロックのばあいは「いいか悪いかは別として少数者の支配」ということでしょう。
 ところで、この古典時代ギリシアギリシャ)以来の「君主制‐寡頭制‐民主制」という区別は、前回も論じた都市的な政治体制を基本にしています。
 ロックの構想では、「最初からの上下関係」ではなく、人民どうしの平等な関係をもとにした場にしか「政治」は成り立たない。「最初からの上下関係」のある国には、「統治」や「支配」はあっても「政治」はないというのがロックの立場です。そして、その「政治」が成り立つ場にしかこの三分類は適用できない。つまり、この「政治」の担い手の数による体制の三分類は、ロックのいう「コモンウェルス」にしか存在しないわけです。
 なお、「人民」ということばは、マルクスレーニン主義共産主義)的な体制の下で使われて「社会の下層で抑圧され、社会主義的な変革を望んでいる人びと」というニュアンスがついてしまいました。でもここでは普通に「人びと」の意味で使っています。ロックのことばでいえば people で、加藤節訳では基本的に「人民」と訳されています。