猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

というわけで無理やり「落ち」を作る?

 アインシュタイン相対性理論とか、量子力学とか、20世紀に始まった現代物理学には、私たちの日常感覚とはかけ離れたもの、日常感覚とは違うものがたくさんあります。
 けれども、どうだろう?
 ニュートンの「古典力学」の段階で、すでに物理学は「日常感覚」からかなり離れたものになっていたのではないか?
 中学校や高校で習う「物理」はそのニュートン力学に沿ったものです。私は高校で「文系」だったので物理は最後まで習っておらず、最後のほうには相対性理論が出てきたのかも知れませんが、ともかく、私はそのニュートン力学だけでお手上げでした。
 なぜお手上げになってしまったかというのをいま考えると、まず計算が苦手だったということもある。でも、それとともに、この「日常感覚とのずれ」の感覚がつかめなかったから、ということもあると思うのです。
 もっとも、先生のほうからいうと、その「感覚のずれ」に慣れない生徒のほうが悪いんだ、ということになると思います。振り回す自分が相手を引っぱっているのか、振り回される相手が「遠心力」で自分を引っぱるのか……というのと似た関係がここにある。あるんだと思います。