猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

冬寂―Wintermute― 作詞:池澤 春菜/作曲:とものかつみ

 これは、作曲者ご本人からの「作詞の苦労話を」というリクエストへのお答えです。


 春菜 とものさんの曲は、わたし、ちょっと珍しいチャレンジだったんですね。ふつう、あんまりこうテンポの速い曲は……。珍しいタイプの曲で、あえて今回ちょっとチャレンジとして選ばせていただいて、自分のなかで、作詞をするときって、だいたいこう物語みたいなものを、こう作るんですけど、えー、この曲に関しては、そういういままでの自分の歌いかたともたぶん変えなきゃいけないだろうから、いままでの自分の作詞のスタイルとも変えてしまおう、と思って、最初にもう、キーワードになる単語みたいなものをがーぁっと書き出して行ったんですね。で、そのなかから、物語ではなく、世界観だけ、ぽつぽつということばの組み合わせから描き出される、すごくざっとした、粗いスケッチみたいなものが、ただ、そこに、細かく描き込まれていないからこそ見る人が自分のいろんなものを投影することができる、っていうような歌詞になったらいいな、というふうに思ってたんですね。なので、で、わたしとしては、けっこう、チャレンジな、すてきな曲になったんじゃないかなと思います。ありがとうございます。……今後、だからちょっと、いろんなチャレンジをしていきたいなと思うんですけど、その第一歩とさせていただきました。
 DP 次回ぜひ演歌を。
 春菜 え゛っ?!
 「ぜひ演歌を」のやりとりは、今回、春菜さんに突っこまれっぱなしだった Dr. Purple が春菜さんに有効に突っこんだ数少ないやりとりでした。まぁ、そういうことはどうでもよくて。
 最初に書いた「ことばと世界観が、物語を通らずにつながっている」という印象は、この質疑応答から思いついたものですが、試聴CDを聴くと、他の曲にも共通しているところがあるのかな、と思ったりもするわけです。
 今回のテーマの一つである「童話」の本質って、案外、そういうところにあるのかも知れません。つまり、物語は物語として、それとは別に、ことばが「世界観」にじかにつながっているようなところが、「童話」の魅力でもあり、得体の知れない、恐ろしいところでもあるように思うのです。たとえば「銀河鉄道の夜」があのことばづかいではない文章で書かれていたら、印象はどうだったでしょう? 大人の小説でもそれは同じなのでしょうが、「物語」の支配力が強いだけ、ことばと世界観の直接のつながりという性格は薄まっていくように思います。