猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

民主政治ってそんなもの?

 さて、完全に「持ち出し」のうえ、苦労して多大な功績を上げても、些細な欠点をあげつらわれて非常に苛酷な刑を押しつけられる民主政治の場で、どうして競って政治指導者を目指す人たちがいたのか、です。
 著者はその理由を「名誉」だと言います。その前提として、古典時代のギリシア人は「ナンバーワン」願望が非常に強く、その社会は非常な「競争社会」だったということも指摘しています。
 私財をなげうち、ろくな死にかたができない危険を引きうけて、それでも「名誉」を求める。やっぱりそれは「ロマンチック」ではすまない凄絶な生きかただとやっぱり感じてしまいます。
 この本には出てこないことですが、その生きかたを支えていた一つの大きな要素は、古典時代のギリシア人が「死後の生」を信じていたことではないかと思う。人間の命は「この世の死」で終わりではないという感覚が実感されていたからこそ、名誉を命よりも重く考える生きかたができたのではないかと思ったりもします。「死後の生」については、ソクラテスも「パイドン」のなかで語っている(とプラトンが書いています)し、オルフェウス教の教義などを見ても、やっぱりこの時代のギリシアの人たちはその存在を信じていた。それが、後に、ギリシア文化とキリスト教が交わっていく一つの接点になったのではないかと思ったりもするのですが、そのことはいまは確証がないので、またの機会に。
 でも、一方で、この本では、功績を上げても告発されそうな危険があればすぐに亡命してしまうという指導者が何度も描かれています。しかも、スパルタとかペルシアとか、敵のところに逃げてしまう。名誉を求めてがんばるけれど、やばくなったら逃げればいいという感覚もあったのかも知れませんし、また、それが通用する世界でもあったわけです。スパルタもペルシアも「敵から逃げてきたやつだから信用ならない」というのではなくて「敵の出身でも有能な人材なら使ってしまおう」という発想だった。
 さて、著者は、アテネ民主政治の発展の過程を見たあとで、それがしだいに世襲制門閥制を打破し、有能な人材であればだれにでも開かれた制度になっていったことを、現在、私たちがアテネ民主政治の歴史に見るべき教訓として挙げています。
 でも、私は、そういう著者の本意とは別に、「なんだ。民主政治なんかいいかげんでもやっていけるんじゃないか」ということを感じました。
 ともかく、熱狂的に支持した政治家を、その翌年には言いがかり的な理由をつけて処刑してしまう。そんなのだから、人材が居つかない。大きな功績を上げたすぐれた人材でも、告発されそうだな、と思ったら、国から逃げ出してしまう。だいたい、有名人になったら、具体的に何をやったわけでなくても追放されてしまう。その気まぐれさ、その「有名人叩き」のひどさといったら、もうアテネの市民っていうのはどうしようもないなというのが実感です。
 こんな政治ならすぐに崩壊してしまいそうなものです。ところがこの民主政治は激動に耐えて180年間はつづいた。しかも、それが終わったのは、すぐ隣の地域での強国マケドニアの興隆という、アテネ自身では防ぐことのできない事態によるものです。西アジアの強国ペルシアをも倒してしまったマケドニアの力に屈したからといって、それはアテネの民主政治が弱かったからだとは言えないと思う。それに、民主政治ではないポリスもマケドニアには勝てなかったのです。
 だから、民主政治というのは、それを支える人たちが、愚劣で、気まぐれで、いいかげんでも、ごちゃごちゃはするけれど持続していけるものなんだな、と私は感じました。ちょっと希望が湧く結論だと思います。
 ところで、この本には、古典時代のアテネが成人男性市民(政治に参加できる人)の数が3〜4万人で「小さな社会」と書いてあるんですけど、それって、奴隷とかは計算に入れないにしても、市民層の女性と子どもを入れると、成人男性一人に妻一人・子一人という控えめな換算をしても9〜12万人ぐらいってことでしょ? それだと現代日本でも「市」ぐらいの規模はあるわけで、そんなに「小さい社会」とは言えないと思うのだけど。
 あと、この本は、原音主義でなく、「アテネ」は「アテナイ」や「アテーナイ」ではなく「アテネ」と書いているし、「φ」(ph)の音もパ行の音ではなくファ行の音で書いています(復古発音では古典時代はパ行に近いとされる)。私は単純にこっちのほうが読みやすくていいよね、と思います。