猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

トップが無能なのに政治に意欲的だとどうなるか

 まず、この本で斬新だったのが、義政時代の足利将軍家の人びとの実像です。
 足利義政は政治嫌いで、政治から逃避するために銀閣を作って、混乱する政治をよそに自分の趣味に生き、そこで奥さんの日野富子が大きな権力をふるった――みたいな見方がある。少なくとも私は高校あたりではそう教わったと思います。
 ところが、じつはそんなことはなくて、政治を自分でやりたいという意欲に溢れた将軍だった、というのが、この本の義政像です。当時から室町幕府の最盛期を実現したと思われていた義満や、義政の父で、「万人恐怖」と言われる専制政治を行ったあげくに臣下の反乱で殺されてしまった義教に倣って、専制的に政治を切り盛りしたかった。
 ただ、困ったことに、実力と資質がついてこなかった。就任した初めのころから、飢餓に苦しむ民衆を救う意欲は示すのだけれど、実行は人任せだし、臣下の家の内紛に首を突っこんだところが、けっきょく母親に反対されて腰砕けになる……といった状態です。それだったらよけいな手出しをせずに黙っていればいいのに、すぐに手を出したがる。有力な臣下の家の内紛を利用してその力を抑制するというのが、義満・義教のやり方だったわけで、それにどうしても見習いたかったわけです。
 ところが、幕府の仕組みのほうは、将軍が自らの意思で積極的に動かなくても政治が行えるようになっていた。将軍にしかできない仕事はあるので、将軍はいなければならない。でも、将軍がいさえすれば、実際の政務は、将軍の補佐官である管領あたりが中心になって滞りなく実行できる。つまり将軍は何もしなくていいわけです。幕府ができてから時間も経っているし、5代将軍から7代将軍にかけて、将軍が若いうちに亡くなったり、反乱で殺されたりという異常事態がつづき、それに対処しているうちに、将軍が積極的に動く必要のない仕組みができあがっていた。
 そういうところに義政が意欲を持って積極的に動こうとする、しかも実力と資質がついていかないのに無理にでも動こうとする。だから政治が必要以上に混乱する。そのことに、この著者は、「戦国」を招き寄せてしまった一つの大きな原因を見ています。う、う〜む……。
 一方で、義政の弟義視(よしみ)は、義政によって後継者として引っぱり出され、義政に男の子が生まれると疎んじられ、応仁の乱が起こった後も東軍についたり西軍に担がれたり……と、なんか主体性のないまま翻弄されているという感がある。しかし、この義視が意外と有能で果断な人物であったことがこの本では描かれています。当初は東軍についていたのに、後には西軍に走ったという、いかにも主体性のなさそうな行動についても、せっかく東軍で立派にやっていたところに兄の義政が出てきて邪魔物扱いされそうになり、逃げ出した、そして、西軍のトップとしてはずいぶん積極的に役割を果たしているところが紹介されています。
 義政の息子の義尚(よしひさ)も、若いうちから荒んだ生活を送って亡くなった、とされていて、それは事実なのですが、やはり将軍権力の持ち主としての自覚を持った人物として描かれている。
 そして、義視のばあいも義尚のばあいも、義政に後継者として指定され、後継者として実質的な活動を始めると、義政自身が出てきて、義視や義尚が将軍として十分な権力を行使するのをじゃまする――という構図で混乱が起こり、拡大する。なんだかなぁ……。
 で、義政を、将軍としての権力意志にあふれた人物、として描くと、晩年を別にして、日野富子の影が薄くなる。やっぱり、この時代、「だんなが頼りないから」というだけで権力者の奥さんが権力をふるえたわけでもなく、「将軍(義尚)の母」という地位があっての富子の権力だった、と見たほうがいいのかも知れません。なお、富子が義尚を無理に将軍後継者に据えようとしたことが応仁の乱の原因だという見かたは、本書では否定されています。