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【宮沢賢治】「近代短歌」と「賢治短歌」

 「佐藤通雅『賢治短歌へ』について」の第二回です。
 佐藤さんが前著で採り上げた「文語詩」が賢治(宮沢賢治)の生涯最後の時期の重要作品だとすれば、賢治の最も初期の作品群は短歌です。
 賢治は、現在でいう中学生・高校生のころから短歌を作っていました。授業で書いた作文などを除けば、初期の作品はほとんどが短歌です。
 盛岡高等農林学校(現在の岩手大学の前身の一つ)に進学してから、賢治は、フィクションの短編や詩的な要素をたくさん含んだ紀行文などを書くようになり、卒業後は詩(口語詩)や童話を書き始める。それと入れ替わるように短歌はあまり作らなくなる。「たくさん作ったけれども残っていない」という可能性はゼロではないですが、賢治が創作メモ的に使った手帳も不十分ながら残っていて、そこにも短歌はほとんど出ていないので(というより、その手帳類にも短歌が出ていて、それがごく少数なので)、ほとんど作らなくなったと考えるほうが自然でしょう。
 では、なぜ賢治はそのまま短歌を作り続けて歌人にならなかったのか? それを、賢治の短歌の特徴と重ね合わせて論じたのがこの佐藤通雅『賢治短歌へ』です。賢治研究家であり、もちろん賢治の作品の愛好者であり、しかも自ら歌人であるという、佐藤さんの「地の利」が活かされた評論だと言えるでしょう。
 佐藤さんは、「賢治がなぜ短歌を作り続けなかったのか」という問題を、賢治の短歌の際立った特徴と結びつけて論じています……って、それはいま書いたな。で、その「際立った特徴」というのは、賢治の短歌作品は一人称の作品ではない、ということと、短歌を連作したときの「物語っぽさ」(というのは私の表現)です。
 私自身は、「短歌というのは一人称の文芸だ」ということをこの本で初めて知りました。短歌では常に「私」が主人公になっている、ということです。う〜む。いままでそんなことを考えたことはなかったな。
 で、そのことを整理しなおしてみようと思います。私が理解するために。そういえば、「ネットの書き込み」というのも「私」が主人公のことが多いよね。それと「近代短歌」が重なるかどうかは、これも考えてみたことがないけれど。
 で、「短歌」というのは基本的に近代の文芸です。
 もともと和歌というのがあって、その和歌のなかの最も短い形式が「五‐七‐五‐七‐七」の「短歌」でした。
 和歌には、前半に「七」の繰り返しが一回多い「五‐七‐七‐五‐七‐七」の「旋頭歌」もあり、また、『万葉集』には、もっと長い「長歌」というのも収められています。「五‐七」を延々と繰り返すばあいが多いですが、それには限りません。『万葉集』の長歌には「四」や「六」が入っていることもあります。なお、賢治の「文語詩」は形式の面ではある程度はこの「長歌」に似ています。
 そういうなかで、いちばん短い形式だったのが「短歌」です。そのあと、もっと短い「俳句」というのができるわけですが、これは、大ざっぱに言えば、あとでちょっと触れる「連歌」というジャンルの関係で、短歌の「上の句」が独立した形です。
 「和歌の一ジャンルとしての短歌」には、別に「自分が主人公でなければならない!」というこだわりはなかったと考えていいでしょう。百人一首の和歌とか思い出してみると、たしかに自分が主人公というのが多い。でも、同じ和歌でも、『万葉集』の長歌には、物語的で、自分ではない主人公がいる作品があります。浦島物語とかも『万葉集』にあります(というのも最近知った……)。そして、その長歌には、「反歌」という、その仕上げというかまとめのような短歌がつくことがあります。「反歌」では、主人公は長歌の主人公に一致しているから、必ずしも自分とは限らない。
 しかし、長歌が作られなくなった後の短歌(和歌の一ジャンルとしての短歌)は、「物語の一部」的な性格を感じさせる作品はあるにしても、物語全体を短歌で語るということはできなくなってしまいますし、主人公も自分であることが多くなります。ま、ようするに、短いのでそれしかできないんですね。「こういう主人公がいて、そのひとが……」とかやってると、それだけで字数が尽きてしまう。『万葉集』の長歌では自分以外の主人公でもよかったし物語を語ることもできたわけですが、「和歌」がほとんど「和歌の一ジャンルとしての短歌」になってしまうと、それが難しくなる。「自分語り」が主になります。
 ただ、中世に流行した、複数の人による短歌の連作である「連歌」では、物語性も持たせられたし、主人公も自分でなくてもいい。「それまでにできていた物語をずらせていく」というなかなか「ポストモダン」っぽいこともできてしまいますし、「連歌」の人たちは実際にやっています。いや、詳しいことは知らないけど……。
 そういう「連歌」の性格が、むしろ俳句のほうには流れこんでいるのではないかと私は思います。たとえば、芭蕉の俳句を考えても、作者自身が主人公だな、と感じるものもありますが、主人公が不明、または主人公がとくに問題にならないような作品もあったりする。古池に蛙が飛びこむ水の音を、芭蕉さんがきいていても、ほかのひとがきいていても、またはだれもきいていなくても、そういうことはたいして問題ではないわけです。そういうことを考えると、「和歌の一ジャンルとしての短歌」が、主人公を消去してしまうには長すぎ、しかし自分以外の主人公を出すためには短すぎて、「自分が主人公」が固定されてしまったのではないか、と思います。
 で、たぶん、それに意識的に「文学であるからには、自我を問題にしなければならない!」という、力の入りまくった文学意識というのが、明治になって乗っかった。それが近代短歌だ、ということなんだと思います。近代短歌史みたいなのは高校でも習ったはずなんですが、そういう視点で整理したわけではないので、これは新知識でした。
 いま調べてみると、近代短歌の中心になった雑誌『アララギ』が創刊されたのが1908年(俳句雑誌『ホトトギス』のほうが創刊が10年以上早い。なお与謝野晶子『みだれ髪』は1901年)、ということは、まだ少年だった賢治が短歌を作り始めたのは、近代短歌というのがある程度の広がりを持ち始める最初の時期なんですね。もちろん、和歌(の一ジャンルとしての短歌)という形式は「近代短歌」などというものが始まる前から、当時の日本人の生活のなかにはかなり浸透していた。朝廷とか宗教界とか国学者とかのエリートが作る高踏的な和歌もあったし、江戸の庶民文化として狂歌というのもあったわけです。だから、短歌形式は当時の日本人には身近なものだった。そこに、それに対して、「近代文学っ!」という自意識を持った短歌というのが始まってくる。形は同じでも精神は違う。少なくとも近代短歌の側では精神が違うことをアイデンティティーにしている。しかも、この始まりの時期に、伊藤左千夫とか、斎藤茂吉とか、北原白秋とか、そして石川啄木とかのスターたちがどーんと出てくる。まさに「近代短歌ビッグバン」です。あるいは「カンブリア爆発」とか……って動物扱いだな、これでは。まあそういう「ビッグバン」の時期に少年期の賢治は居合わせたわけです。
 だいたい「近代文学」といっても、『吾輩は猫である』の発表が1905年あたりですから、口語文による近代文学(小説)というのも、賢治の少年時代にやっと確立の時代を迎えていると言っていいでしょう。もっとも、森鴎外舞姫』や幸田露伴五重塔』は賢治が生まれる前ですから、「口語文による」というところをはずせば、明治10年代の政治小説も含めて、近代文学はそこそこの積み重ねは持っているわけです。そこでももちろん「自己」・「自我」という問題意識は出ている。でも、私たちが考える「近代文学」というのは、1900年代にはまだ「成長途上」という性格があった、とみていいのではないかと思います。
 で、「近代文学」である、「自我」を語らなければならない、短歌の主人公は「自分」でなければならない、という常識が、1900年代から1910年代にかけて形成されて行く。
 賢治のことは飛ばして、その後、それがどうなったかというと、1930年代から1940年代前半には、短歌は「自分語り」であるためにかえって時流に抵抗することができず、戦争賛美の短歌に走ってしまった。「そんなの短歌だけじゃないじゃん!」と言えばそれまでなのかも知れませんが、「近代的自我を持たねば!」というのが明治の「文学」のスタンダードだとすると、「自分たちは戦争に協力してしまった……」という悔恨が「戦後文学」というもののスタンダードだったわけで、「戦後」を背負う歌人たちはそのことに悩むわけです。そんななかから「前衛短歌」という運動が出てくる。
 では「前衛短歌」の方法とは何かというと、「自己」を複数化していくことなんだそうです。つまり、短歌で「自分は……!」と主張したいのは、何も作者だけではないだろう、いろいろと主張したい人がいるはずなのに、作者が「短歌のなかで自分を語れる人」の地位を独占していいのか? ――ということなんだろうと思います。だから、短歌のなかで語る「自己」を複数化していく。それが「前衛短歌」の方法だということなんですが……こうなると私には何が何やらよくわかりません。まあ「戦後」というと「民主主義」の時代だから、自分の歌であっても自分が一人で支配するのはよくない、ということなんでしょう。
 ともかく、それを踏まえたうえで、佐藤さんが書いておられるのは、賢治の方法は、もちろん古風な和歌でもないし、「近代短歌」の「自分語りの短歌」ではない(そういうのもあるけれど)だけでなく、「前衛短歌」の「自分語りをする「自分」を複数化する短歌」でもやっぱりない。非常に独特なものだ、というわけです。
 この本のタイトルにある「賢治短歌」というのもそういう考えを踏まえた表現だということです。「賢治の短歌」では不十分である。つまり、宮沢賢治という歌人がいて、その歌人が「近代短歌」のジャンルに属する短歌作品を詠んだわけではない。賢治の短歌は、伝統的な和歌ではなく、同時に、「近代短歌」でもなく、さらに言えば賢治の没後に出現する「前衛短歌」でもない、「賢治短歌」という独特のジャンルの作品なのだ、という思いが、このタイトルにはこめられている、ということなんですね。
 「○○の□□は他のすべての□□とまったく違った独特のものであるっ!」というブチ上げかたは、とても気負っていて、とても目立つけれど、それだけにかえって「それって看板倒れなんじゃないの?」、「じつは大したことがないからそうやって虚勢を張ってるんじゃないの?」という疑惑を生みます。では、この「賢治短歌」というブチ上げは、どういう内実を持っているというのでしょうか、というところで、またまた次回に続きます。