猫も歩けば...

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宮沢賢治学会冬季セミナーの感想

 宮沢賢治学会イーハトーブセンターの冬季セミナー http://www.kenji.gr.jp/news2.html#touki が、先週21日に東京で開催されたので、行って来ました。タイトルは「今、宮沢賢治を世界の解き放つ」で、前半は新潮選書で『宮沢賢治 デクノボーの叡知』を刊行された今福龍太さんの講演「デクノボー 無主の希望」、後半はそれを受け手の座談会(今福龍太さん、管啓次郎さん、岡村民夫さんの三人)でした。
 講演は、井上有一という書家と、ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンについての話が大半でした。「デクノボー」(「デクノボウ」)という概念で宮沢賢治と関連づけられていたとはいえ、井上有一とベンヤミンのほうが中心だったというのが私の印象です。それはそれで興味深かったですけど。
 でも、私の想像を誘ったのは、有名な「雨ニモ負ケズ」に出てくる「デクノボー」よりも、ベンヤミンとの関連で今福さんが紹介した賢治の「えい木偶のぼう」という詩でした(全文は http://www.ihatov.cc/haru_3/326_d.htm )。
 賢治自身が記した日付によれば、「えい木偶のぼう」を書いたのは1927年4月11日なので、1931年11月3日の「雨ニモ負ケズ」の4年半前ということになります。「雨ニモ負ケズ」が重病のなかで書かれたものなのに対して、まだ病気で倒れる前、賢治が学校の教師をやめて農民のための団体「羅須地人協会」を立ち上げ、自分も農作業をやっていた時期の詩です。
 この「木偶のぼう」は自分自身がなりたい存在などではありません。畑仕事をしている詩人(賢治)をじっと見ています。詩人はずっと見られているのがうっとうしくて、「はやくみんなかげろうに持ってかれてしまえ」と、その「木偶のぼう」が消えてくれることを願っています。いら立っているところを見ると、消えてほしいと思っていても、なかなか消えてくれないのでしょう。
 この「木偶のぼう」が、かかしのようなものなのか、それとも最初から詩人の幻想なのか。もしかすると賢治と関係の悪かった近所の農民のことなのかも知れません。でも、モデルがあるにしても、自分の近くにいて、何もしないでじっと自分のやっていることを見ているという、詩人の幻想が強く映し出された存在であることはまちがいないでしょう。
 学校の教師という安定した仕事を辞め、農民の生活に近づきたいとか言って農民のための団体を立ち上げ、畑でいろんな作物を栽培して、それで農民の生活に少しでも近づけたと思っているのか? ほんものの農民には「学校の教師という生きかたもあるけれど、それよりは自分で畑を耕す」なんて選択している余裕なんかない。農民は、農業が好きでやっているのではなく、それしか生きかたがないからやっている。農民と同じように畑を耕していても、いや、そうしているからこそ、その立場の違いはどうやっても埋められないのではないか?
 この時期の賢治の作品から見て、そんな疑いが姿をとって現れたのがこの「木偶のぼう」だと言っていいでしょう。
 賢治の初期の作品に「うろこ雲」という作品があります。エッセイとも創作ともつかないふしぎな作品で。まだ賢治が「心象スケッチ」という方法を明確に打ち出す前の作ですが、「心象スケッチ」の一種とみていいでしょう。この「うろこ雲」には、算数ができなくて立たされた子の気もちが、小さい黒い幽霊になって、夜、学校から外を見ている、という場面があります。残留思念みたいなものですね。大げさに言うと「生き霊」とか。自分では忘れてしまった気もちが、本人から分かれ出て、いつまでもその場にとどまって、じっと見ている、というものです。
 で、この「えい木偶のぼう」という詩の「木偶のぼう」も、この「うろこ雲」の幽霊に近いと私は感じました。自分では忘れてしまったことにしている気もち、自分では直面するのを避けている気もちが、姿をとって現れ、自分をじっと見ている。何も言わずにじっと見ている。それが、この詩の「木偶のぼう」だったのです。
 それが「そういうものにわたしはなりたい」と同じ詩人が言う「デクノボー」と同じものなのか?
 もし同じだとすると、今度は立場を逆にして、周囲の農民たちに「あんたたちの生きかた、それでいいの?」と無言で問いかけ続ける存在ということになるんだけど。
 この読みをすると、「デクノボー」と関連づけて読まれることの多い詩「不軽菩薩(ふきょうぼさつ)」をどう読むかにも関係してくるだろうと思います(「不軽菩薩」は http://www.ihatov.cc/bn_mi/815_d.htm 。「不軽菩薩」と呼ばれる菩薩については https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E4%B8%8D%E8%BB%BD%E8%8F%A9%E8%96%A9 )。この詩「不軽菩薩」の解釈はいまの私の手に余るので(文語詩であるというだけでハードル高めです)、今回は書きませんが。
 今福さんの読みかたからすると、問われるのは農民たちではなく、文明生活に慣れ、文明生活を送っている人たちということになるんだと思うのだけど、そういう読みかたでいいのかな、ということは、私には疑問です。「雨ニモ負ケズ」には都市生活なんてほとんど出てきません(「ケンカや訴訟」ぐらいでしょうが、これも都市に限ったものではありません)。
 もし賢治が「デクノボーという生きかた」を求めたのだとすれば、それは「とても謙虚な生きかた」とはちょっと違うんじゃないかな、と思うのですが。