猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

ダークマターの日

 ハロウィンだったり、「制服コミュニケーション3」が開催されたりした今日ですが。
 「制服コミュニケーション」の参加記は別に書きたいと思います。
 それで。
 行ってきましたよ、投票。
 いつもの投票所に来ている人がいつもの選挙より多かったという感じでした。もっとも、行った時間がいつもより遅いということもあるかも知れませんが。
 でも、選挙への関心はこれまでと比べて高かった、と言っていいんじゃないかな、という感触でした。

 さて、それとともに、今日は「ダークマターの日」なのだそうです。
 https://www.kek.jp/ja/special/dark-matter-day/
 なぜ今日なのかはよくわかりませんが。
 Trick or Treat.
 「ダークマターをくれないといたずらするぞ」
 ダークマターは、人間の手で集めて差し出すことはできないので、いたずらされるのは不可避と思われます。
 「お菓子をくれないとダークマターをまき散らしていたずらするぞ」
 同じく、ダークマターは人間の手で集めることはできないので、まき散らすことはできません。また、ダークマターは人間にはほとんどまったく影響がないので、あんまり「いたずら」にはならないと思われます。

 ダークマターは「幽」な物質、というのがいいのかな、と思います。
 日本語では、「暗黒物質」よりも「幽物質」のほうがいいと思う。
 「幽」とは、「幽霊」もそうですし、「幽玄の美」とかいうばあいも、「かすかな」という意味です。
 「かすか」な物質、あまりに「かすか」すぎてどうやっても感知することのできない物質、でもたしかにそこに存在する物質、それが「幽物質」であり、ダークマターだということです。

 江戸末期の国学者平田篤胤は「幽」な世界の存在をいろいろと考察しました。
 平田篤胤は「幽」な世界を、大略、次のように説明しています(記憶に頼って書いているので細かいところは違うかもしれません)。
 「家のなかで、暗い部屋からは明るい部屋の様子がよく見える。しかし、明るい部屋からは、暗い部屋はただ暗く見えるだけで、そこの様子はよくわからない」
 明るい部屋で大人たちが宴会をやって大はしゃぎしている。子どもが暗い部屋に一人残されている。大人からは、暗い部屋で子どもが何をやっているかわからない。しかし、暗い部屋の子どもからは、明るい部屋で大騒ぎしている大人のだれが何をやっているか、ぜんぶ見えている。
 そういうたとえです。
 その「暗い部屋」にあたるのが「幽」な世界、幽界だということです。
 それは私たちの世界から遠いところではなく、まさに「明るい部屋」にあたる私たちの世界に接するように存在しているという。
 そのたとえで言えば、現代の物理学・天文学などでいう「ダークマター」は、極めつきの「幽」な物質なのです。

 私たちは「明るい世界」に住んでいます。「光」でものを見て判断することのできる世界です。
 この「光」には紫外線や赤外線、エックス線や電波まで含みます。目で見える光で見えないものでも、紫外線や赤外線やエックス線や電波で見れば見えることがあります。
 ところが、ダークマターは「光」ではほとんど見えない。紫外線や赤外線やエックス線や電波でも見えない。
 しかし、存在していることはたしかなのです。
 しかも、宇宙の遠くに存在しているだけではなくて、私たちの身の回りにも存在している。
 平田篤胤が言った「幽」の世界のように、明るい場所からは見えないけれど、私たちのまわりに、私たちの世界に重なって、たしかに存在しているわけです。

 「幽」な物質といえばニュートリノが思い浮かぶかも知れません。
 ニュートリノも「幽霊物質」と言われます。しかし、ニュートリノは「電気を帯びていない(電荷がゼロの)電子」です(ここでは「電子ニュートリノ」という種類のニュートリノに話を絞ります)。したがって、ニュートリノが電気(電荷)を獲得すれば電子になります(これもややこしい問題がいろいろありますが、今回は省略です)。

 ところで、「光」で見えるのは電気を帯びている(電荷を持っている)物質だけです。
 いやいや。電気を帯びてないものも見えるでしょ? 身の回りで見えているものが電気を帯びていれば、何に触っても感電してしまって、危なくてしかたがない。でも、実際には、身の回りで、普通に光で見て見えているものに触れて感電することはありません。
 だいたい、自分の身体そのものが目に見えるのだから、自分の身体も電気を帯びているはずだけど?
 だから、光で見えているものも、電気は帯びているとは限らないのでは?
 いや。
 それは、物質のなかでプラスの電気(電荷)とマイナスの電気(電荷)が釣り合っているから、全体としては電気を帯びていないように感じる。
 「明るい世界」、つまり「光」で見える世界の物質は、さまざまな種類の原子核を、電子がいくつかの方法で結びつけてできています。原子核はプラスの電気を帯び(プラスの電荷を持ち)、電子はマイナスの電気を帯びて(マイナスの電荷を持って)います。
 身の回りの物質のなかで、原子核のプラスの電気と、電子のマイナスの電気は、原子核を結びつけるために使われていて、物質の外にはほとんど出てきません。
 むしろ、電気が物質のなかでプラスかマイナスに偏っている状態にして、電気が外に出て来る状態を作るためには、発電機や電池を使ってエネルギーを与えなければいけないわけです。
 したがって、身の回りの、目に見えているほとんどの物質に触れても感電しない(もちろん触れると感電する物質もありますよ!)。
 しかし、「光」(紫外線や赤外線やエックス線や電波も含む)は、物質の細かいところまで入り込んで、原子核や電子(主として原子核から遠いところに存在する電子)の持っている電気(電荷)に反応するので、「光」で見える、ということです。

 で、ニュートリノは、「プラスの電気を帯びている部分とマイナスの電気を帯びている部分が釣り合っている」状態ではなく、完全に電気を帯びていない(電荷がゼロ)の物質なので、ニュートリノ自体を「光」で見ることは絶対にできません。
 しかし、ニュートリノは、原子核や電子とは「たいへんまれに、ごくたまに」程度ならば反応を起こします。その反応が起こると電子などの「光」で見える物質を生み出し、さらに「光」で見える現象を起こすので、それを観測することでニュートリノを検出することはできます。
 だから、とてつもなく手間がかかりますけど、ニュートリノを検出することはできます。

 ところが、ダークマターを構成する粒子というのは、それ自体は「光」とは反応しない。さらに、原子核や電子とはまったく反応しないか、とても反応しにくいと想定されます。つまり、「光」で見える現象をまったく起こさないか、とてもとてもとても起こしにくい。
 「光」の世界、明るい世界からは、そこに「幽」なものが存在するのはわかっていても、それが何か、どういう性質のものなのかは、とてもわかりにくい存在なのです。

 まあ、それはそうです。
 ダークマターは、20世紀になるまで「こういうものが存在するのではないか?」という疑いさえ生まれてきませんでした。
 20世紀にも、ダークマターはじつは「光」で見える物質で、それが見えないのは私たちの観測能力が十分でないからではないか、という疑いが消せませんでした。しかし、観測能力も向上して、「「光」で見えるはずなのに観測できない物質」がダークマターの一部分だとしても、とてもその全体であるはずがないとわかってきたわけです。

 では、「光」で見えないのに、どうしてそんなものが存在するとわかったのか。
 それは重力によってです。
 私たちがいる銀河系とか、アンドロメダ銀河とかは、数千億の星やガス・ちり(ダスト。土ぼこりのようなもの)が集まったものです。こういう集まりを「銀河」といいます。
 「銀河」というともともと「私たちの銀河系」のことなので、「私たちの銀河」を指すときには「天の川銀河」と言ったりしますけど。
 その、「天の川銀河」自身も、「天の川銀河」以外の多くの銀河も、観測してみると、「光」で見えている物質の重さ(質量)を推定して合計しても、その銀河自体の重さ(質量)に及ばない、ということがわかってきたからです。

 いや。
 遠くの銀河の重さなんてどうやってわかるの?
 私たちの銀河(天の川銀河)を含めて、渦巻きっぽい形の銀河は回転しています。また、整然と回転していないにしても、一つひとつの星の動きを確かめることができます。その回転とか、「回転」より複雑な動きとかは、その銀河がどれくらいの重力を持っているかで決まります。ものがどのくらいの重力を持つかは、それがどれくらい重い(どれくらいの質量がある)かで決まります。それによって、銀河の重さ(質量)を推定できるのです。

 一方で、星は「光」を出していますし、ガス・ちりも星の光を反射したりして「光」で観測できます。かつては観測は目に見える光(可視光)が中心だったので、目に見える光(可視光)では見えない物質は「「光」で見えるはずだけど、地球からは見えないものではないか?」という疑いがあった。
 ところが、いまではエックス線も電波も紫外線も赤外線も精密に観測できますので、「光」を出す物質はだいたい見ることができる、少なくとも「存在を推定することができる」程度にはなって来ました。
 そうすると、「光」を出す物質がどれくらいあるかが推定できるようになります。
 そうやって計算した「光」に反応する物質の量が、銀河の回転とか星の動きとかから推定した銀河の重さと大きく食い違う。

 その差を埋めるものとして「ダークマター」の存在が確実と見られるようになったというわけです。

 ここまで書いて「ダークマターの日」が終わってしまいそうなので、今回はここまでとします。