猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

みちのくCOMITIA6に参加します

 たいへんご無沙汰し、申しわけありませんでした。
 今年の2月中ごろまでは、2019年度の「年度末進行」で忙しく、2020年8月を中心に開催される予定だった大規模な国際スポーツ大会をめぐる予定の調整で気ぜわしい日々を送っていました。それが、2月下旬になって一挙に新型コロナウイルス感染症への対応に追われることになりました。仕事自体は増えたものもあれば減ったものもあったのですけど、いろいろな意味で気を休められない日々が続きました。仕事でもそれ以外でも「決まっていないこと」がどんどん山積みになって行き、「気が抜けない」感が非常に大きかった。
 それで、このたび、アトリエそねっとは、8月16日に福島県郡山で開催される「みちのくCOMITIA6」https://www.adv-kikaku.com/comitia に参加いたします。
 今回のみちのくCOMITIAは、サークル参加はすべて委託参加で行うということです。委託参加ですが、アトリエそねっとにとってはほぼ半年ぶりの即売会参加です(最後の一般参加からも5か月ぶり)。
 今回お持ちする(委託する)のはすべて旧刊で、新刊なしという予定です。
 じつは即売会への「委託参加」は今回が初めてです(知り合いのサークルに委託を出してお世話になったことはあります)。新型コロナウイルス感染症が収まらないなか、仕事もいろいろ様変わりしましたが、こちらの活動でも「初めてのオンライン入稿」・「初めての委託参加」などいろいろ新しい経験をしています。
 もともと、職場が東京ということもあって、大規模な国際スポーツ大会との兼ね合いで4月以降の予定が確定せず、即売会当日に仕事が休みになるかどうか確実でなかったため、4~6月の即売会参加が申し込めない状態でした。そのまま新型コロナウイルス感染症の流行の時期に入ってしまったという感じです。
 今回のみちのくCOMITIAは、新型コロナウイルス感染症の流行がなければ、規模を拡大しての初めての2ホール開催という予定でした。
 今後は、イベントが開催されるか不確定であっても、ともかく募集を開始したイベントで参加したいものがあれば、積極的に申し込んでいくつもりです。
 よろしくお願いします。
 ※ カクヨム「近況」にもほぼ同じ文章を掲載しました。
 https://kakuyomu.jp/users/r_kiyose/news/1177354054918258482

松の内が終わる前に

 もう世のなかはいつもどおりの平日で動き出している時期ですが;
 あけましておめでとうございます。
 せっかく2020年代に入ったというのに、「年頭に感じたこと」をまとめる暇もなく、年の初めから「正月休みで遅れたぶんを取り戻す!」みたいな感じで仕事の予定が詰まっているのがなんだかなぁ、というところです。

 さて、次にアトリエそねっとで参加する即売会は:
 ○杜のコミフェス3 https://moricomi.info/ (1月26日 仙台 EbeanS 9階「杜のイベントホール」)
 ○GirlsLoveFestival29 http://www.lovefes.info/indexs.htm (2月2日 都立産業貿易センター台東館)
です。

 なお、2月9日のCOMITIA131にはサークル参加しません。前回サークル参加したコミティア(東京)がCOMITIA127なので、ちょうど一年間ご無沙汰していることになります。今回は仕事が重なるかどうかびみょ~な時期で、参加申込するかどうか迷っていたら申込期限が来てしまったという事情です。
 またこれ以後の即売会参加も決まっていません。とくに、今年は(7月後半~9月前半の都内での仕事に大きい制約が生じることから)仕事の予定が変則的になることが確実で、4月以後の日程が2020年度が始まってみないと確定しないので、申込をするのに二の足を踏んでいます。
 去年は仕事が忙しすぎて同人誌作りも非常に低調になってしまいました。1月の即売会についても今年も仕事の状況は似たようなものなのですが、できるだけ同人誌は出して行くように動きたいな、と思っています。
 よろしくお願いします。

宮沢賢治と網野善彦

 前回の「タイトルは「今、宮沢賢治を世界の解き放つ」」ではなくて、「……世界解き放つ」でしたね。すみません。
 で、この「セミナー」では、slido というシステム https://www.sli.do/ を使ってリアルタイムで質問を受けつけるというのをやっていました。いやあ、ICTすごい。それも、「文字の象形性」が「言語以前」の思いとか衝動とかをよみがえらせる、という話をしているところに、「象形性」から最も遠く、文字をデジタル化して電子ネットワークを通じて質問を送るなんて。なんか……すごい。
 そこで私が出した質問が「無主というと網野善彦を思い出す。網野善彦は、農業文明に圧倒された生きかたに共感を寄せ続けたひとだったが、農学者だった宮沢賢治も同じだったと考えてよいか」というものでした。幸い、数多くの質問のなかで、時間的制約の厳しいなかで回答していただくことができました(ありがとうございます)。それによると、今福さんが賢治についていう「無主」は、網野善彦の「無主」と関係があるということでした。
 網野善彦は日本中世史の研究者です。まだマルクス主義の影響が強かった時期に「中世は封建制社会で農業社会だったというけど、非農業民も同じくらいに重要じゃない?」という問題提起をしたひとです。
 非農業民というと、都市の住民だけでなく、漁業とか林業とか狩りとかを生業とする人たちや、行商人、芸能民(旅芸人のような存在)などです。また、厳密には「非農業民」ではないですが、農民のなかでも稲作農民ではない畑作農民も「非農業民」のほうに入っているようです。
 網野善彦は、「水田で米を作っている農民」だけに注目して描いた中世史はいっぱいいろんなものを見落としているのではないか、という問題提起をしたのです。
 原始の社会では「所有」の関係というのがまだ成立していなかった。人間に対しても、土地に対しても、そのほかあらゆるものに対して「主」(主人や所有者)というものが存在しなかった。つまり「無所有」・「無主」の状態だった。
 封建制社会になって、土地に「主」が現れ、人間にも「主人」が存在するようになった。つまり土地所有と人間どうしの支配関係というのが生まれた(原始社会からいきなり封建制社会になるわけではないけど、それはもう飛ばします)。しかし、その「封建制社会の支配者(貴族・武士・寺社など)‐稲作農民」の関係の外には、あいかわらず原始以来の「無主」の非農業民の世界が広がっていた。
 また、その「無主」の世界は、封建社会の外側に、封建社会の「縁」が通用しない「無縁」の空間として残った。「無縁」社会は、「縁」が通用しないしんどい社会であると同時に、「しがらみ」としての「縁」から解き放たれた自由の世界でもあった。
 非常に乱暴にまとめるとそういう主張です。その「農民(稲作農民)‐非農業民」の対立を軸に、鎌倉幕府の権力構造とか、鎌倉仏教の対立関係とか、中世天皇制の性格(『異形の王権』が有名)とかを見ていくというのが、いわゆる「網野史学」のスタイルでした。
 私は網野善彦の書いたものはいろいろと読みました。網野善彦のファンだったこともあります。現在の私は「網野史学」からはかなり離れてしまいましたが、私がいまも日本中世史に関心を持っているのは網野善彦のおかげだと言ってもいい。
 で、私は宮沢賢治のファンでもあるのですが、いままで「網野善彦宮沢賢治」という組み合わせで考えたことがなかった。今回のセミナーではそのことに気づかされました。
 さて、どうなんだろう?
 「非農業民」ということで言えば、今福さんが採り上げておられた「なめとこ山の熊」は「非農業民」のお話です。山では、だれを主人とするわけでもなく自然と交わっている猟師が、街に出てくると人間社会の「縁」に翻弄される。時代が資本主義の時代なので、封建制社会の支配者とかではなく、街の小資本家を「主」とする「縁」につながれてしまう。そうやって「非農業民」を差別し従属させる世のなかは変えていかなければならない。そういう物語として読むことができます。
 また、賢治の農学者としての実践も、「非農業」ではないけれど、稲作以外の農業に活路を探ろうとする試みでした。当時の日本社会では「稲作農民として成功すること」が求められていました。米の確保が国家的に重要だったからです。しかし、稲作は寒い東北では不利だからということで、賢治は野菜を作ったり花を作ったりした。これも、「農業といえば稲作農業!」という歴史観に異を唱え、畑作農業や牧畜業にも注目した網野善彦歴史観と重なります。
 でも、一方で、賢治は「稲作農民の味方」でもあろうとしました。稲の収量を上げるために、農民から田んぼの状態を聞き出し、細かく肥料設計を行ったのです。
 さらに、資本主義時代の主流の座を占めつつある工業や科学技術にも背を向けているわけではありません。たしかに、「オツベルと象」に見られるように、資本主義的生産が「非人間的な支配」に結びついて行くことには厳しい批判を向けていますが、蒸気機関や電車が人間の行動範囲を拡げていくことにまで否定的なわけではありません。科学技術を使って空気中の二酸化炭素を増加させ、地球の平均気温を上昇させて冷害を根絶するという物語まで書いています。もちろん、それは、地球の平均気温が上昇すれば災害が大規模化して人類の生活を脅かすとか、海水面が上昇して島や海岸地帯が水没の危機にさらされるとかいうことがわかっていない時期のことです(この「二酸化炭素が増加して気温が上昇する」ということが当時科学的にどこまでわかっていたか、ということも調べてみたほうがいいのでしょうけど……今回はパスします)。
 宮沢賢治は、稲作農業や「工業と科学技術」の時代に、封建制社会や資本主義社会の「所有」関係や「主になる‐主に仕える」関係を超えた人間関係を理想とした。いや、人間だけではない。この世の万物の関係を、「持つ‐持ち物にされる」・「主になる‐主に仕える」の関係から解放しようとした。でも、それは、稲作文明や工業文明を否定した、もっと言えば「文明」を否定したというのとはちょっと違うと私は思います。
 宮沢賢治は「法華経の行者」と呼ばれるほど法華経を信じたひとでした。それは、法華経に、理想的な「この世の万物の関係」を実現する方法を求めたからでしょう。仏教には、人間だけではなく、動物はもちろん植物やこの世の一切のものを「衆生」と呼んで、人間と同じように悟りを開く可能性を認める考えがあります。
 また、そうかと思うと、賢治は、当時の日本でいちばん急進的だった社会主義政党無産政党)の労働農民党の支持者でもありました。社会主義は仏教を含む宗教に対して否定的なのに、また、賢治は社会主義を基礎づける唯物論には反対だったのに、です。
 社会主義はもともと工業社会から生まれた理想です。賢治が社会主義に関心を持ち、自分の詩集(『春と修羅 第二集』。自前で印刷する計画だったのに、印刷機労働農民党に寄附してしまったために発行できなかった)の発行を犠牲にしてまで社会主義政党を支援したのは、工業社会と、「所有」関係や「主になる‐主に仕える」関係(支配関係)を超えた社会のあり方とが両立できると信じたからでしょう。
 その方法が「デクノボー」なのか? それも一つだというのはそのとおりでしょう。しかし、それだけで言い尽くせるかというと、私はそうでもないと思います。
 賢治は自分の生きかたを「雨ニモ負ケズ」という詩(詩の草稿?)に託した。でもそこに描かれているのは、小さなかや葺きの小屋にいて、稲の束を背負うオバサンを助けてあげるような、農村生活者としての生きかたです(野原の松の林の蔭の小屋に住むのが「農村」的なのか、むしろ「農村」からも距離をとっているのではないか、というようなことはここでは議論しないことにします)。そして「デクノボー」はその理想的な農村生活者的な生きかたに関連して出てくる。ここまではいいと思います。この詩には都会的な生きかた、工業や科学技術のことはほとんど出てきません。
 では、賢治は、工業や科学技術が存在しない社会を構想したか? そんなことはないと思うのです。
 網野善彦は「封建制社会‐稲作農民」の世界の外側に「無所有」・「無主」の世界を見て、そちらもきちんと見ないと十分な歴史像は描けないことを指摘しました。でも、「荘園公領制」の概念を主張したことからもわかるように、「封建制社会の支配者‐稲作農民」の世界を無視したわけではありません。むしろ、荘園についても、封建制社会の支配者たちについても、とても詳しく知っていたという印象があります。

 荘園も、荘園と同じような上流貴族の収入確保の手段になっていた「公領」も、「封建制社会の支配者‐稲作農民」の関係で成り立っている場なのですから。「封建制社会の支配者‐稲作農民」の世界もその外側の世界も両方を見ないと歴史は描けない。ということは、「封建制社会の支配者‐稲作農民」の世界もきちんと見なければいけないということです。
 資本主義時代の世界では、「資本主義‐工業」が、人間どうしの関係だけでなく、人間と自然の関係もつくり出している。でも、それに組み込まれたりはみ出したりしながら、農業社会も存在しているし、「非農業」の生業や「非農業民」も存在している。そういう全体のなかで、「所有」関係やそれと一体となった支配関係(「主になる‐主に仕える」関係)を超えた人間と人間の関係、人間と自然の関係を見つけ出していくことが賢治の理想だったのではないかと私は思います。それは、農業文明や工業文明の単純な否定ではないでしょう。
 「雨ニモ負ケズ」が賢治の重要な作品だとしても、その理想へ向かう方法がこの一作品にだけ凝集されているとは私には思えない。まして、その理想が「デクノボー」の一語に凝集されているとも私にはちょっと思えないのですが。

宮沢賢治学会冬季セミナーの感想

 宮沢賢治学会イーハトーブセンターの冬季セミナー http://www.kenji.gr.jp/news2.html#touki が、先週21日に東京で開催されたので、行って来ました。タイトルは「今、宮沢賢治を世界の解き放つ」で、前半は新潮選書で『宮沢賢治 デクノボーの叡知』を刊行された今福龍太さんの講演「デクノボー 無主の希望」、後半はそれを受け手の座談会(今福龍太さん、管啓次郎さん、岡村民夫さんの三人)でした。
 講演は、井上有一という書家と、ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンについての話が大半でした。「デクノボー」(「デクノボウ」)という概念で宮沢賢治と関連づけられていたとはいえ、井上有一とベンヤミンのほうが中心だったというのが私の印象です。それはそれで興味深かったですけど。
 でも、私の想像を誘ったのは、有名な「雨ニモ負ケズ」に出てくる「デクノボー」よりも、ベンヤミンとの関連で今福さんが紹介した賢治の「えい木偶のぼう」という詩でした(全文は http://www.ihatov.cc/haru_3/326_d.htm )。
 賢治自身が記した日付によれば、「えい木偶のぼう」を書いたのは1927年4月11日なので、1931年11月3日の「雨ニモ負ケズ」の4年半前ということになります。「雨ニモ負ケズ」が重病のなかで書かれたものなのに対して、まだ病気で倒れる前、賢治が学校の教師をやめて農民のための団体「羅須地人協会」を立ち上げ、自分も農作業をやっていた時期の詩です。
 この「木偶のぼう」は自分自身がなりたい存在などではありません。畑仕事をしている詩人(賢治)をじっと見ています。詩人はずっと見られているのがうっとうしくて、「はやくみんなかげろうに持ってかれてしまえ」と、その「木偶のぼう」が消えてくれることを願っています。いら立っているところを見ると、消えてほしいと思っていても、なかなか消えてくれないのでしょう。
 この「木偶のぼう」が、かかしのようなものなのか、それとも最初から詩人の幻想なのか。もしかすると賢治と関係の悪かった近所の農民のことなのかも知れません。でも、モデルがあるにしても、自分の近くにいて、何もしないでじっと自分のやっていることを見ているという、詩人の幻想が強く映し出された存在であることはまちがいないでしょう。
 学校の教師という安定した仕事を辞め、農民の生活に近づきたいとか言って農民のための団体を立ち上げ、畑でいろんな作物を栽培して、それで農民の生活に少しでも近づけたと思っているのか? ほんものの農民には「学校の教師という生きかたもあるけれど、それよりは自分で畑を耕す」なんて選択している余裕なんかない。農民は、農業が好きでやっているのではなく、それしか生きかたがないからやっている。農民と同じように畑を耕していても、いや、そうしているからこそ、その立場の違いはどうやっても埋められないのではないか?
 この時期の賢治の作品から見て、そんな疑いが姿をとって現れたのがこの「木偶のぼう」だと言っていいでしょう。
 賢治の初期の作品に「うろこ雲」という作品があります。エッセイとも創作ともつかないふしぎな作品で。まだ賢治が「心象スケッチ」という方法を明確に打ち出す前の作ですが、「心象スケッチ」の一種とみていいでしょう。この「うろこ雲」には、算数ができなくて立たされた子の気もちが、小さい黒い幽霊になって、夜、学校から外を見ている、という場面があります。残留思念みたいなものですね。大げさに言うと「生き霊」とか。自分では忘れてしまった気もちが、本人から分かれ出て、いつまでもその場にとどまって、じっと見ている、というものです。
 で、この「えい木偶のぼう」という詩の「木偶のぼう」も、この「うろこ雲」の幽霊に近いと私は感じました。自分では忘れてしまったことにしている気もち、自分では直面するのを避けている気もちが、姿をとって現れ、自分をじっと見ている。何も言わずにじっと見ている。それが、この詩の「木偶のぼう」だったのです。
 それが「そういうものにわたしはなりたい」と同じ詩人が言う「デクノボー」と同じものなのか?
 もし同じだとすると、今度は立場を逆にして、周囲の農民たちに「あんたたちの生きかた、それでいいの?」と無言で問いかけ続ける存在ということになるんだけど。
 この読みをすると、「デクノボー」と関連づけて読まれることの多い詩「不軽菩薩(ふきょうぼさつ)」をどう読むかにも関係してくるだろうと思います(「不軽菩薩」は http://www.ihatov.cc/bn_mi/815_d.htm 。「不軽菩薩」と呼ばれる菩薩については https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E4%B8%8D%E8%BB%BD%E8%8F%A9%E8%96%A9 )。この詩「不軽菩薩」の解釈はいまの私の手に余るので(文語詩であるというだけでハードル高めです)、今回は書きませんが。
 今福さんの読みかたからすると、問われるのは農民たちではなく、文明生活に慣れ、文明生活を送っている人たちということになるんだと思うのだけど、そういう読みかたでいいのかな、ということは、私には疑問です。「雨ニモ負ケズ」には都市生活なんてほとんど出てきません(「ケンカや訴訟」ぐらいでしょうが、これも都市に限ったものではありません)。
 もし賢治が「デクノボーという生きかた」を求めたのだとすれば、それは「とても謙虚な生きかた」とはちょっと違うんじゃないかな、と思うのですが。

「旧太陽暦」の話の続き

 アトリエそねっと謹製2020(令和2)年カレンダーには、太陽暦、通常の「旧暦」とともに「旧太陽暦」を記載しています。
 これは、立春を1月1日とし、太陽の位置が30度進むごとに(=太陽のまわりの地球の位置が30度進むごとに)次の月に移るという規則で作られた暦で、具体的には、「二十四節気」の奇数回め=狭い意味での「節気」が来る日を次の月の1日にしています。
 ……というのがこれまでのあらすじでした。
 二十四節気が何月何日の何時何分に来るかは、国立天文台が「暦要項」という文書で発表しています(http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/yoko/)。
 いまの日本には、公式には旧暦はないことになっているので、国立天文台も旧暦はサポートしていないことになっています。しかし、日本で伝統的に使われてきた二十四節気はいまも国立天文台が発表しているのです。ほかにも、土用(の入り)、節分、お彼岸(の入り)、八十八夜なども発表しています。「日本の生活に深く関係しているから」という理由でしょう。
 国立天文台は月の満ち欠けも発表しているので、旧暦のルールさえ知っていれば、国立天文台のデータで旧暦を作ることができます。
 それで、国立天文台の発表している二十四節気のデータをもとにすれば、具体的に2020年の「旧太陽暦」がどうなるかというと:

 前年
 12月1日 小寒(330度):1月06日 6時30分
 2020年
 1月1日 立春(0度):2月04日 18時03分
 2月1日 啓蟄(30度):3月05日 11時57分
 3月1日 清明(60度):4月04日 16時38分
 4月1日 立夏(90度):5月05日 9時51分
 5月1日 芒種(120度):6月05日 13時58分
 6月1日 小暑(150度):7月07日 0時14分
 7月1日 立秋(180度):8月07日 10時06分
 8月1日 白露(210度):9月07日 13時08分
 9月1日 寒露(240度):10月08日 4時55分
 10月1日 立冬(270度):11月07日 8時14分
 11月1日 大雪(300度):12月07日 1時09分

となります。これだけだったら、「普通の太陽暦から1か月と4~8日差で推移しているな~」と感じる程度ですが、一か月の日数を数えてみると:

 前年
 12月 29日
 2020年
 1月 30日
 2月 30日
 3月 31日
 4月 31日
 5月 32日
 6月 31日
 7月 31日
 8月 31日
 9月 30日
 10月 30日
 11月 29日

となります。旧太陽暦では、前年の12月と2020年11月は一か月が29日しかないのに対して、旧太陽暦5月は32日もあります!
 これは、地球の軌道が正確な円ではなく、わずかに楕円になっているからです。楕円だと、30度ごとに区切っていくと、楕円の円周上の長さはどうやっても一定になりません。しかも、楕円軌道のばあいは、「ケプラーの法則」によって、地球が軌道上を進む速さも一定ではなくなります。
 地球は、楕円軌道の長いほうの軸の一方の端に来たときに太陽にいちばん近づき(この点を「近日点」といいます)、その反対側の端に来たときに太陽からいちばん遠ざかる(「遠日点」といいます)ことになります。太陽に近いときには地球の動きが速く、太陽から遠ざかると地球の動きは遅くなります。天動説的に言えば、太陽が地球に近いときには太陽の動きが速くなり、太陽が地球から遠いときには遅くなります。
 地球が太陽にいちばん近づく(近日点を通過する)のが(普通の太陽暦の)1月の初めごろ、遠ざかる(遠日点を通過する)のが7月の初めごろです。したがって、普通の太陽暦の12月から翌年1月ごろにあたる「旧太陽暦」の11月と12月は太陽の進みか速く(地動説でいえば地球の公転が速く)、30度進むのに29日しかかかりません。これに対して、普通の太陽暦の6~7月ごろにあたる「旧太陽暦」の5月前後は太陽の進みが遅く(地動説でいえば地球の公転が遅く)、30度進むのに32日かかるのです。
 「29日しかない月」は、普通の太陽暦グレゴリオ暦)に「28日しかない月」があるので別に驚きませんが、「5月32日」というのが出現するとちょっと驚きます。少なくとも私は「えっ?」となりました。
 ちなみに、「旧太陽暦」6月1日にあたる小暑は2020年7月7日の午前0時14分なので、もし時間が15分前にズレていれば、「旧太陽暦」の6月1日は普通の太陽暦の7月6日になり、「旧太陽暦」の5月は31日で収まります。しかし、このばあい、15分前倒しにしても立秋(旧太陽暦7月1日)は8月7日の午前9時50分頃になるだけで日付が動かないので、こんどは6月が32日になってしまい、「32日の月」が出現することにかわりはありません。

「旧太陽暦」の話

 今回作成したアトリエそねっとのカレンダーには、他ではお目にかからない「旧太陽暦」を掲載しています。
 「旧太陽暦」は、立春を1月1日とする暦です。「立春」というのは「節分の次の日」ですね。ほんとうは、「立春の前日が節分」という定義ですが、節分は豆まき行事があるので、節分のほうが立春よりも定着してしまいました。
 ……というような話が前回のあらすじでした。
 要するに、「旧太陽暦」というはっきりしたものは存在しなかったのを、アトリエそねっとで作ったんですね。ただ、ゼロから作り上げたとかでっち上げたとかいうのではなく、昔からあった「二十四節気」というのをもとに、日付を振ったのです。
 二十四節気というのは、立春から太陽が15度進むと「清明」、清明からまた太陽が15度進む日を「穀雨」というように、一年を、太陽が15度進むごとに区切ったものです。15度×24=360度なので、そういう区切りの数は24になります。これを二十四節気といいます。
 二十四節気は、まとめて言うときには二十四「節気」といいますが、立春を一番めとして奇数番めを「節気」(狭い意味での節気)、偶数番めを「中気」といいます。つまり節気‐中気‐節気‐中気‐節気……と交互に来ることになります。「節」とは「節目」で、「節気」つまり「節目の気」のまんなかが「中気」というわけです。
 伝統的にその節気・中気が月に割り振られています。具体的には:
 立春:1月の節気 / 雨水:1月の中気 (りっしゅん/うすい)
 啓蟄:2月の節気 / 春分:2月の中気 (けいちつ/しゅんぶん)
 清明:3月の節気 / 穀雨:3月の中気 (せいめい/こくう)
 立夏:4月の節気 / 小満:4月の中気 (りっか/しょうまん)
 芒種:5月の節気 / 夏至:5月の中気 (ぼうしゅ/げし)
 小暑:6月の節気 / 大暑:6月の中気 (しょうしょ/たいしょ)
 立秋:7月の節気 / 処暑:7月の中気 (りっしゅう/しょしょ)
 白露:8月の節気 / 秋分:9月の中気 (はくろ/しゅうぶん)
 寒露:9月の節気 / 霜降:9月の中気 (かんろ/そうこう)
 立冬:10月の節気 / 小雪:10月の中気 (りっとう/しょうせつ)
 大雪:11月の節気 / 冬至:11月の中気 (たいせつ/とうじ)
 小寒:12月の節気 / 大寒:12月の中気 (しょうかん/だいかん)
です。立春が(普通の)太陽暦の2月3~4日なので、立春から1月とすると(普通の)太陽暦から一か月ちょっとズレることになります。
 この「旧太陽暦」は、「節気」(狭い意味での節気)を各月の1日として、そこから順番に日付を振ったものです。つまり、立春を1月1日、啓蟄を2月1日、清明を3月1日……として日付を振りました。立春が1月(正月)の始まりの日、啓蟄が2月の始まりの日……という感覚は昔からあったので、「日付を振る」というところだけがアトリエそねっとのオリジナルということになります(でももうやったひともいるかも)。
 太陽暦の一年は365.2422日、つまり365日と5時間48分46秒ぐらいです。太陽は365.2422日で一周する。つまり360度進むわけです。ということは一日でだいたい1度ぐらい進む。だから、節気から次の中気まで、中気から次の節気までは15日ぐらいのはずです。
 しかし、太陽が一日1度ずつ進んでいれば一年は360日のはずで、実際にはそれよりも5日と5時間48分46秒くらい長い。したがって、節気から次の中気、中気から次の節気までは、平均すると15日より長くなります。だいたい15.22日で、15日と5時間15分ぐらいです。日で区切ると、4~5回に一回、この間隔が16日になるところを置けばいいのです。このやり方を「平気法」といいます。
 この「平気法」で「旧太陽暦」を作れば、節気(狭い意味での)からあいだに中気をはさんで次の節気までは30日か31日となります。つまり、一年に、ひと月が30日の月を6~7回、ひと月が31日の月を5~6回置けばよい。いまの太陽暦とあまり変わりません。
 ところが、実際には、こうなりません。というところで、次に続きます。

カレンダーを作ってみました

 アトリエそねっとで2020(令和2)年のカレンダーを作ってみました。
 今年は同人誌をあまり出せなかった年だったけれど、一方で、コピックに慣れようとしていろいろと絵を描いた年でもありました。「いろいろ」といっても女の子ばっかりですけど(汗)。それで、その女の子の絵を集めてカレンダーにしました。
 このご時世に旧暦つき、しかも、実用性ゼロの「旧太陽暦」というものまでついています。
 で、11月24日に岩手県花巻市で開かれたTRIP?SaGaでこのカレンダーを頒布したところ、手に取ってくださった方たちから「旧太陽暦というのがわからない」というご質問をいただきました。
 まあ、当然といえば当然のご質問です。
 「旧太陽暦」というのが存在するかというと、少なくとも1日、2日……と数えるカレンダーとしてはこれまで存在したことはなかっただろうと思います。だったらそんなものをカレンダーに載せるな、ということになると思いますが。
 いちどやってみたかったのです!
 旧太陽暦とは「二十四節気」をもとにした暦です。
 節分(立春の前日)に豆まきをする習慣があります。これは、「立春から新しい年が始まる」という考えかたによります。夜が明けると新しい年なので、新しい年を迎える前に鬼を払って福を迎えよう、ということですね。
 ところが、立春が「旧暦」の一月一日(元日)に重なるかというと、重なることはほとんどありません。だいたいは、旧暦ではまだ前年なのに立春が来てしまうか、旧暦で新年が来てから立春になるかのどちらかです。
 『古今集』(『古今和歌集』)の最初の和歌は:
 年のうちに 春は来にけり ひととせを 去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ
という在原元方の歌です。「まだ年が明けていないのに立春が来た。いまのこの一年は「去年」というのだろうか? 「今年」というのだろうか?」というような内容です。作品鑑賞的なことはともかくとして、このときは「旧暦ではまだ前年なのに立春が来てしまう」という年だったのですね。
 で、それだったら、立春を1月1日として、そこから2日、3日……と数える暦を作ってみたら、ということで考えたのが「旧太陽暦」です。
 旧太陽暦のことは長くなるのでまた書くとして。
 今回のカレンダーを作って気がついたことは:
 (1)セーラー服の女の子の絵が多い(16点中9点)
 (2)眼鏡さんの絵が3点
ということでした。
 これまで(難しくて)ほとんど描かなかった眼鏡さんの絵があるのは、6月に「眼鏡時空」(http://meganekkokyodan.org/meganejikuu/)に参加したからです。10月の眼鏡時空はいろいろな事情でサークル参加しなかったのですが、また次に眼鏡時空が「発生」する(=イベントが開催される)ときには参加させていただきたいと思っています。
 なお、アトリエそねっととしてのサークル参加は今年はTRIPが最後でした。今週末の北海道(11月30日)&九州(12月1日)コミティアは仕事と重なりそうだったので申し込んでおらず、けっきょく1日が仕事になってしまったので一般参加もできません。コミックマーケットは一般参加のみです。
 かなり気が早いですが、2019年もお世話になりました。ありがとうございました。