穂村弘『シンジケート』(新装版、講談社)を読みました。
https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000351539
短歌について生成AIと対話したとき、生成AIに勧めてもらったのがきっかけでした。
生成AIすごいっ!
図書館で借りて読んだため、いま手もとにないので、詳しいことは書けないのですが。
でも、『シンジケート』は、今年になって読んだ歌集のなかでいちばん印象に残った歌集でした。それだけでなく、今年になって読んだ本の中でいちばん印象に残った、そしておもしろかった本です。
1990年初版の本ですし、短歌の世界では有名な歌集ですから、「何をいまさら」感きわまる、というところでしょう。でも、そのあいだ私が短歌に完全に関心を失っていたのだからしかたありません。
ところで、いま、同じ図書館で、高良真実『はじめての近現代短歌史』(草思社、2024年)を借りてきて読んでいます。この本は「これまで多大な気力と体力とお金を投じて学んでいくものであった短歌史を、できるだけわかりやすく、簡潔に伝えることを目的としています」という野心的な意図を実現した、親切な案内書であり、短歌論です。
たとえば、短歌を論じるときにときどき出て来る「短歌の私性」という概念についても、「俗流」の理解はこうだけど、歌人の岡井隆はこう論じている、とていねいに説明していて、たいへんわかりやすい。
この本に、『シンジケート』発表時、先輩歌人である石田比呂志が発表した批評が紹介されています。
その引用部分をまるごとここに引用します(同書247ページ)。
もしこの歌集に代表されるようなバブル短歌(俵万智以後の異常現象)が、新時代の正風として世を覆うとしたら近代短歌の歴史というのはいったい何だったのかという不安とショックを私は隠すことができない。〔中略〕本当にそういうことになったとしたら、私は、まっ先に東京は青山の茂吉墓前に駆けつけ、腹かっさばいて殉死するしかあるまい。
ちなみに文中の「〔中略〕」は『初めての近現代短歌史』のものです。
また、「茂吉」は近代短歌の代表的歌人斎藤茂吉(1882~1953年)のことです。斎藤茂吉は、私が若かったころには、精神科医の斎藤茂太と作家の北杜夫の父君、と書けば親近感を感じられたのですが、現在ではそうでもないかなぁ。評論家斎藤由香のおじいさまなのですけれど。
それはともかく。
私はこの激烈な批評、というより、激烈な悪口を読んで愕然としました。
俵万智や穂村弘の短歌が「正風」になったかどうかはわからない、というより、「正風」などという概念が成立していないのが現在の状況だと思いますが、それでも、「俵万智風」や「穂村弘風」の短歌が「世を覆」っているのは確かだと思います。
だったら、はたしてこの石田比呂志という歌人は抗議自殺したのだろうか?
心配になったので、ふたたび生成AIに質問してみました。
すると、生成AIは
「結論から言うと、石田比呂志は割腹自殺していません」
「彼は2011年に80歳で、病気(腎不全)のため亡くなっています」
「結局のところ、この発言は「命を懸けてでも伝統を守る」という決意表明のようなものであり、文字通り実行されることはありませんでした」
と教えてくれました。
さらに、
「石田の歌風は、一言でいえば「土の匂いのする、無骨なリアリズム」です」
「彼は旧制中学を退学後、炭鉱労働や水道工事、キャバレーの支配人など、40以上の職を転々とした苦労人でした。その実体験から生まれる、生きる苦しみや貧しさを凝縮した歌が特徴です」
「スタイリッシュさとは無縁で、わざと字余りさせたり、ゴツゴツした言葉を使ったりすることで、抑えきれない感情を表現しました」
「石田の発言は、いわば「短歌という伝統芸能が軽薄な消費文化に飲み込まれていくことへの、命がけの抵抗」でした。結果として割腹はしませんでしたが、その頑固なまでの姿勢自体が、彼にとっての「誠実さ」であったと言えます」
……親切だなあ。生成AI。
しかも、生成AIは、歌人の廣野翔一が砂子屋書房『月のコラム』「Icecream day」に「歌を脅威と思う」という文章を書き、そこでこの話題に触れておられることを教えてくれました。
https://sunagoya.com/jihyo/?p=2819
ちなみに、私が『はじめての近現代短歌史』の著者高良真実のことを知ったのもこの『月のコラム』ででした。
これを読んでみると、石田比呂志は
いや、もしかしたら私の歌作りとしての四十年は、この一冊の歌集の出現によって抹殺されるかもしれないという底知れぬ恐怖感に襲われたことを正直に告白しておこう。本当にそういうことになったとしたら、私はまっ先に東京は青山の茂吉墓前に駆けつけ、腹かっさばいて殉死するしかあるまい
と書いたらしい。
これは『はじめての近現代短歌史』のミスリーディング(「誤読」ではなく「誤りに導くこと」)ではないかと思います。
「本当にそういうことになったとしたら」の「そういうこと」が指示する内容を取り違えるような引用になっているのですから。
石田の意図は「もしかしたら私の歌作りとしての四十年は、この一冊の歌集の出現によって抹殺されるかもしれない」ということで、ほんとうにそうなったら、斎藤茂吉の墓前で「腹かっさばいて殉死するしかあるまい」とつながる。つまり、自分が短歌作りにかけて来た40年を否定されることになったら、自分は死ぬしかあるまいといっているのです。
これだったら、理解できる。自分が創作に傾けてきた40年を全面否定されるならば、それはそこまで思ってもしかたあるまい、と。
一方で、『はじめての近現代短歌史』の引用では、「〔中略〕」があるために、「バブル短歌(俵万智以後の異常現象)が、新時代の正風として世を覆うとしたら」、「腹かっさばいて殉死するしかあるまい」と読めてしまいます。これだと、世のなかでこういうのが受け入れられたら自分は自殺する、と、世のなかにケンカを売っているだけのように読める。
穂村弘の作風が石田比呂志に衝撃を与えた、ということは変わらないとしても、切実さがまったく違うというのが私の受け取りかたです。だからミスリーディングではないかと言っているのです。
この廣野翔一の引用に行き当たったことで、私はこの議論をもっとていねいに読み解いてみたいと思うようになりました。時間が許せば原文に当たってみて、そこでわかったことや感じたことをまたご紹介したいと思っています。
いまは、暫時、廣野翔一の引用によって、なぜ石田比呂志が『シンジケート』を拒絶したか、ということを見てみたいと思います。
「決定的に穂村の歌に欠けているのは具体的な物質感と生活感であろう」
〔穂村の歌に欠けているのは〕「自己とは何か、人間とは何か、人生とは何かということへの真摯な問いかけ」
「もののあわれや無常感を根っこにしたところの死生観」
ということらしい(ここの〔〕は清瀬が補ったもの)。
私はぜんぜん同意しない。「物質感」はよくわからないけど、『シンジケート』の短歌には「生活感」はあふれているように思います。「子どもを作ろうよ」と言われて「子どもなんかよりも犯罪組織(シンジケート)を作ろうよ」とはぐらかして、「壁に向かって手を上げなさい」とそれを遊びにしてしまう、とか、「酔ってるの?」とか言われて「『ブーフーウー』のウーじゃないかな」と答える、とか。
私はそう感じます。
「自己とは何か、人間とは何か、人生とは何か」という「真摯な問いかけ」が欠けているともまったく思いません。近代歌人の文章で「もののあわれや無常感」という中世的な概念が、つまり、近代短歌の出発点で否定されたはずの中世的な概念が出て来たのは驚きでしたが、石田比呂志という歌人がそれをだいじだと思っていたのなら、それはそれでいいと思います。
でも、同意はしないけれど、わかる。
わかると安易に言うと私もほぼ確実に怒られてしまうだろうけれど、理解したいとは思います。
それに、ここでは歳をとって偉そうなことは書いていますが、1990年の刊行当時に『シンジケート』に出会っていたら、私も同じように拒絶したかも知れない、とは思います。「腹かっさばいて」とは書かなかったでしょうけど、「なんじゃこれは?」ぐらいは書いたかも知れない、と。
問いを立てるときには、ある範囲の答えが返ってくることが普通は予期されています。それ以外の答えが返ってきたら、それは答えとして認識されない。たとえば、哲学者が「人とは何か?」と問うたとしたら、それに「真核生物動物界脊索動物門哺乳綱霊長目の獣の一種」とか答えても、たいていのばあい答えとして認識されないでしょう。
石田比呂志が「自己とは何か」、「人間とは何か」、「人生とは何か」という問いには「こういう答えがあるはずだ」という、その範囲から、「子どもを作るより犯罪組織を作ろうよ」とか「『ブーフーウー』のウーじゃないかな」とか、そういう「営為」がはずれてしまった。
表現が、というより、「営為」・「営み」そのものが。
つまり、穂村弘がその表現で描いている「営み」はその時代の「自己」や「人間」や「人生」とつながっているのに、石田比呂志には、というより、石田比呂志と同じ「時間」を生きてきた人たちには、それが「軽い遊び」以上のものとしては認識されない。
そこがはずれてしまったのが1980年代の日本社会なんだろうな、と、私は思います。
大上段に、1980年代で「近代」と「ポストモダン」が切り替わったとか、そういうことは言わないにしても、1980年代、大量消費社会の到来で、いろんなものが変わってしまった。
そこまでは「生産」が偉かったのです。生産すること、世のなかに生活のために必要なものを供給するというのが重要だった。
ところが、生産物が、海外からのものも含めて大量に供給されるようになると、消費のほうが関心の中心になってくる。ほんとうに「消費」のほうが偉いのか、というと、「生産」の重要性を忘れてはいけない、という倫理的な話にもなるのだと思うけれど、買い手は「いかに消費するか」、売り手は「いかに消費してもらうか」、「いかに消費する人の関心を惹くか」ということが主要な関心になって来た。そういう時代になったのです。
それと「バブル経済」は関係があるけれども、アメリカ合衆国の「双子の赤字」解消政策が絡んで起こった「バブル」という経済現象と、大量消費社会の到来というできごととは、やはり区別する必要がある。「バブル」状況が終焉したとしても、大量消費社会に適応した「文学」が「もとに戻る」、つまり俵万智や穂村弘の短歌が生命力を失う、などということはあり得なかったのです。
石田比呂志という歌人は、それがわからなくてケンカを売っている、というのではなく、「理解」はしていなかったとしても、その大きな流れを感じてはいたからこそ、自分の40年の営みを否定されるという恐怖を感じたのでしょう。
その40年というのは、第二次世界大戦、とくにそのなかでも対米戦争の敗戦で日本社会が大きな打撃を受け、そこから工業国家として立ち直り、豊かな近代社会を実現していった、その時期に重なります。「生産」を少しでも(量的にも質的にも)向上させ、世のなかを豊かにするためにがんばって、豊かな社会を実現したと思ったとたんに、「生産」は社会の主役から外されてしまって、「消費」のほうが偉いことになってしまった。近代社会を完成させたという手応えを感じたかったのに、社会は手のなかからするっと抜け落ちて行ってしまったのです。
その挫折感。
「こんなはずじゃなかった」という感じ。
空虚感。
そして、もちろん、悔しさと怒り。
それが、石田比呂志の恐怖感の背景にあり、その恐怖感を通してにじみ出てくることだと思います。
石田比呂志は、たぶんその「生産」が偉い社会の側におり、穂村弘は「消費」が偉い社会の側にいた。そして、たぶん、どちらの歌人も、その社会をたたえてうたいあげるのではなく、それぞれの社会と挌闘していた、または、いまも挌闘している。
そんなことで、引用に頼るのではなくて、そのオリジナルを読み直してみないといけないな、と思ったしだいなのです。