猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

いまさらながら『シンジケート』

 穂村弘『シンジケート』(新装版、講談社)を読みました。

https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000351539

 短歌について生成AIと対話したとき、生成AIに勧めてもらったのがきっかけでした。
 生成AIすごいっ!

 図書館で借りて読んだため、いま手もとにないので、詳しいことは書けないのですが。
 でも、『シンジケート』は、今年になって読んだ歌集のなかでいちばん印象に残った歌集でした。それだけでなく、今年になって読んだ本の中でいちばん印象に残った、そしておもしろかった本です。

 1990年初版の本ですし、短歌の世界では有名な歌集ですから、「何をいまさら」感きわまる、というところでしょう。でも、そのあいだ私が短歌に完全に関心を失っていたのだからしかたありません。

 ところで、いま、同じ図書館で、高良真実『はじめての近現代短歌史』(草思社、2024年)を借りてきて読んでいます。この本は「これまで多大な気力と体力とお金を投じて学んでいくものであった短歌史を、できるだけわかりやすく、簡潔に伝えることを目的としています」という野心的な意図を実現した、親切な案内書であり、短歌論です。

 たとえば、短歌を論じるときにときどき出て来る「短歌の私性」という概念についても、「俗流」の理解はこうだけど、歌人の岡井隆はこう論じている、とていねいに説明していて、たいへんわかりやすい。

 この本に、『シンジケート』発表時、先輩歌人である石田比呂志が発表した批評が紹介されています。
 その引用部分をまるごとここに引用します(同書247ページ)。

もしこの歌集に代表されるようなバブル短歌(俵万智以後の異常現象)が、新時代の正風として世を覆うとしたら近代短歌の歴史というのはいったい何だったのかという不安とショックを私は隠すことができない。〔中略〕本当にそういうことになったとしたら、私は、まっ先に東京は青山の茂吉墓前に駆けつけ、腹かっさばいて殉死するしかあるまい。

 ちなみに文中の「〔中略〕」は『初めての近現代短歌史』のものです。
 また、「茂吉」は近代短歌の代表的歌人斎藤茂吉(1882~1953年)のことです。斎藤茂吉は、私が若かったころには、精神科医の斎藤茂太と作家の北杜夫の父君、と書けば親近感を感じられたのですが、現在ではそうでもないかなぁ。評論家斎藤由香のおじいさまなのですけれど。

 それはともかく。
 私はこの激烈な批評、というより、激烈な悪口を読んで愕然としました。
 俵万智や穂村弘の短歌が「正風」になったかどうかはわからない、というより、「正風」などという概念が成立していないのが現在の状況だと思いますが、それでも、「俵万智風」や「穂村弘風」の短歌が「世を覆」っているのは確かだと思います。
 だったら、はたしてこの石田比呂志という歌人は抗議自殺したのだろうか?

 心配になったので、ふたたび生成AIに質問してみました。
 すると、生成AIは

 「結論から言うと、石田比呂志は割腹自殺していません」
 「彼は2011年に80歳で、病気(腎不全)のため亡くなっています」
 「結局のところ、この発言は「命を懸けてでも伝統を守る」という決意表明のようなものであり、文字通り実行されることはありませんでした」

 と教えてくれました。
 さらに、

 「石田の歌風は、一言でいえば「土の匂いのする、無骨なリアリズム」です」
 「彼は旧制中学を退学後、炭鉱労働や水道工事、キャバレーの支配人など、40以上の職を転々とした苦労人でした。その実体験から生まれる、生きる苦しみや貧しさを凝縮した歌が特徴です」
 「スタイリッシュさとは無縁で、わざと字余りさせたり、ゴツゴツした言葉を使ったりすることで、抑えきれない感情を表現しました」
 「石田の発言は、いわば「短歌という伝統芸能が軽薄な消費文化に飲み込まれていくことへの、命がけの抵抗」でした。結果として割腹はしませんでしたが、その頑固なまでの姿勢自体が、彼にとっての「誠実さ」であったと言えます」

 ……親切だなあ。生成AI。

 しかも、生成AIは、歌人の廣野翔一が砂子屋書房『月のコラム』「Icecream day」に「歌を脅威と思う」という文章を書き、そこでこの話題に触れておられることを教えてくれました。
https://sunagoya.com/jihyo/?p=2819
 ちなみに、私が『はじめての近現代短歌史』の著者高良真実のことを知ったのもこの『月のコラム』ででした。

 これを読んでみると、石田比呂志は

いや、もしかしたら私の歌作りとしての四十年は、この一冊の歌集の出現によって抹殺されるかもしれないという底知れぬ恐怖感に襲われたことを正直に告白しておこう。本当にそういうことになったとしたら、私はまっ先に東京は青山の茂吉墓前に駆けつけ、腹かっさばいて殉死するしかあるまい

と書いたらしい。

 これは『はじめての近現代短歌史』のミスリーディング(「誤読」ではなく「誤りに導くこと」)ではないかと思います。
 「本当にそういうことになったとしたら」の「そういうこと」が指示する内容を取り違えるような引用になっているのですから。

 石田の意図は「もしかしたら私の歌作りとしての四十年は、この一冊の歌集の出現によって抹殺されるかもしれない」ということで、ほんとうにそうなったら、斎藤茂吉の墓前で「腹かっさばいて殉死するしかあるまい」とつながる。つまり、自分が短歌作りにかけて来た40年を否定されることになったら、自分は死ぬしかあるまいといっているのです。
 これだったら、理解できる。自分が創作に傾けてきた40年を全面否定されるならば、それはそこまで思ってもしかたあるまい、と。

 一方で、『はじめての近現代短歌史』の引用では、「〔中略〕」があるために、「バブル短歌(俵万智以後の異常現象)が、新時代の正風として世を覆うとしたら」、「腹かっさばいて殉死するしかあるまい」と読めてしまいます。これだと、世のなかでこういうのが受け入れられたら自分は自殺する、と、世のなかにケンカを売っているだけのように読める。

 穂村弘の作風が石田比呂志に衝撃を与えた、ということは変わらないとしても、切実さがまったく違うというのが私の受け取りかたです。だからミスリーディングではないかと言っているのです。

 この廣野翔一の引用に行き当たったことで、私はこの議論をもっとていねいに読み解いてみたいと思うようになりました。時間が許せば原文に当たってみて、そこでわかったことや感じたことをまたご紹介したいと思っています。

 いまは、暫時、廣野翔一の引用によって、なぜ石田比呂志が『シンジケート』を拒絶したか、ということを見てみたいと思います。

 「決定的に穂村の歌に欠けているのは具体的な物質感と生活感であろう」
 〔穂村の歌に欠けているのは〕「自己とは何か、人間とは何か、人生とは何かということへの真摯な問いかけ」
 「もののあわれや無常感を根っこにしたところの死生観」

ということらしい(ここの〔〕は清瀬が補ったもの)。

 私はぜんぜん同意しない。「物質感」はよくわからないけど、『シンジケート』の短歌には「生活感」はあふれているように思います。「子どもを作ろうよ」と言われて「子どもなんかよりも犯罪組織(シンジケート)を作ろうよ」とはぐらかして、「壁に向かって手を上げなさい」とそれを遊びにしてしまう、とか、「酔ってるの?」とか言われて「『ブーフーウー』のウーじゃないかな」と答える、とか。

 私はそう感じます。

 「自己とは何か、人間とは何か、人生とは何か」という「真摯な問いかけ」が欠けているともまったく思いません。近代歌人の文章で「もののあわれや無常感」という中世的な概念が、つまり、近代短歌の出発点で否定されたはずの中世的な概念が出て来たのは驚きでしたが、石田比呂志という歌人がそれをだいじだと思っていたのなら、それはそれでいいと思います。

 でも、同意はしないけれど、わかる。
 わかると安易に言うと私もほぼ確実に怒られてしまうだろうけれど、理解したいとは思います。
 それに、ここでは歳をとって偉そうなことは書いていますが、1990年の刊行当時に『シンジケート』に出会っていたら、私も同じように拒絶したかも知れない、とは思います。「腹かっさばいて」とは書かなかったでしょうけど、「なんじゃこれは?」ぐらいは書いたかも知れない、と。

 問いを立てるときには、ある範囲の答えが返ってくることが普通は予期されています。それ以外の答えが返ってきたら、それは答えとして認識されない。たとえば、哲学者が「人とは何か?」と問うたとしたら、それに「真核生物動物界脊索動物門哺乳綱霊長目の獣の一種」とか答えても、たいていのばあい答えとして認識されないでしょう。

 石田比呂志が「自己とは何か」、「人間とは何か」、「人生とは何か」という問いには「こういう答えがあるはずだ」という、その範囲から、「子どもを作るより犯罪組織を作ろうよ」とか「『ブーフーウー』のウーじゃないかな」とか、そういう「営為」がはずれてしまった。

 表現が、というより、「営為」・「営み」そのものが。

 つまり、穂村弘がその表現で描いている「営み」はその時代の「自己」や「人間」や「人生」とつながっているのに、石田比呂志には、というより、石田比呂志と同じ「時間」を生きてきた人たちには、それが「軽い遊び」以上のものとしては認識されない。

 そこがはずれてしまったのが1980年代の日本社会なんだろうな、と、私は思います。

 大上段に、1980年代で「近代」と「ポストモダン」が切り替わったとか、そういうことは言わないにしても、1980年代、大量消費社会の到来で、いろんなものが変わってしまった。

 そこまでは「生産」が偉かったのです。生産すること、世のなかに生活のために必要なものを供給するというのが重要だった。

 ところが、生産物が、海外からのものも含めて大量に供給されるようになると、消費のほうが関心の中心になってくる。ほんとうに「消費」のほうが偉いのか、というと、「生産」の重要性を忘れてはいけない、という倫理的な話にもなるのだと思うけれど、買い手は「いかに消費するか」、売り手は「いかに消費してもらうか」、「いかに消費する人の関心を惹くか」ということが主要な関心になって来た。そういう時代になったのです。

 それと「バブル経済」は関係があるけれども、アメリカ合衆国の「双子の赤字」解消政策が絡んで起こった「バブル」という経済現象と、大量消費社会の到来というできごととは、やはり区別する必要がある。「バブル」状況が終焉したとしても、大量消費社会に適応した「文学」が「もとに戻る」、つまり俵万智や穂村弘の短歌が生命力を失う、などということはあり得なかったのです。

 石田比呂志という歌人は、それがわからなくてケンカを売っている、というのではなく、「理解」はしていなかったとしても、その大きな流れを感じてはいたからこそ、自分の40年の営みを否定されるという恐怖を感じたのでしょう。
 その40年というのは、第二次世界大戦、とくにそのなかでも対米戦争の敗戦で日本社会が大きな打撃を受け、そこから工業国家として立ち直り、豊かな近代社会を実現していった、その時期に重なります。「生産」を少しでも(量的にも質的にも)向上させ、世のなかを豊かにするためにがんばって、豊かな社会を実現したと思ったとたんに、「生産」は社会の主役から外されてしまって、「消費」のほうが偉いことになってしまった。近代社会を完成させたという手応えを感じたかったのに、社会は手のなかからするっと抜け落ちて行ってしまったのです。

 その挫折感。
 「こんなはずじゃなかった」という感じ。
 空虚感。
 そして、もちろん、悔しさと怒り。

 それが、石田比呂志の恐怖感の背景にあり、その恐怖感を通してにじみ出てくることだと思います。

 石田比呂志は、たぶんその「生産」が偉い社会の側におり、穂村弘は「消費」が偉い社会の側にいた。そして、たぶん、どちらの歌人も、その社会をたたえてうたいあげるのではなく、それぞれの社会と挌闘していた、または、いまも挌闘している。

 そんなことで、引用に頼るのではなくて、そのオリジナルを読み直してみないといけないな、と思ったしだいなのです。

短歌と私


 清瀬 六朗です。

 「カクヨム」で、短歌の部活動をやっている女子高校生たちの物語の連載を始めました。
 『恋と別れの短歌会』
https://kakuyomu.jp/works/2912051596942712739

 もうちょっとタイトル工夫したほうがよかったですかね?(汗)
 でも、基本的に、女子高校生の短歌会(歌会)の話ですから、やっぱりこのタイトルか。

 「歌物語」を書くのは、ずっと短歌を作っていなかった私にとっては、けっこうな冒険です。
 「冒険でした」というより、いまも続いているので「冒険です」です。

 私は、高校時代、短歌を作って、高校の先生に添削してもらっていたことがあります。しかし、受験でそれが中断してから、ずっと短歌は作っていませんでした。
 それから歳月が流れ……。
 2023年、カクヨムで「第1回カクヨム短歌・俳句コンテスト」が開催されたときに、連作短歌を作りました。
 『遠い日の思いに』
https://kakuyomu.jp/works/16817330658307558549
 これが、ほんとうに何十年かぶりでの実作だったのです。

 しかし、短歌を作りたい(詠みたい)という気もちは、その後、また途絶えてしまいました。
 私のばあい、いったん短歌を詠む気もちが失われると、「どうやって短歌を作ればいいのか?」ということまでわからなくなってしまいます。
 感じたこと、思っていること、印象に残ったことを、五七五七七の韻律に載せて31文字で表現する?
 「そんなん無理でしょ?」
 そう思ってしまうのです。
 そうなると、自分で作らなくなるだけでなく、世のなかの短歌作品についても鑑賞する気がまるで起こらなくなる。

 そういう状態に陥ってしばらく経った今年(2026年)の2月、遅めの昼食をとっていると、テレビから「石川啄木の生誕140年を記念して、盛岡市の醸造所が新しいビールを発売した」というニュースが流れました。
https://www.baerenbier.co.jp/2026/02/10/%E4%B8%80%E6%8F%A1%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%82%BE%E3%83%B3%E7%99%BA%E5%A3%B2/

 私は、宮沢賢治の作品はずっと読んできたのですが、賢治の先輩にあたり、賢治にも影響を与えた啄木についてはあまり熱心に読んできませんでした。
 生誕140年ということなら、この機会に読んでみよう(ちなみに、賢治は啄木の10歳下なので、今年は賢治生誕130年でもあります。ついこのあいだ「賢治二度めの還暦」=生誕120年と言っていたような気がするのに!)。

 高校時代に私の短歌を添削してくださっていた国語の先生は、啄木の短歌をほとんど評価していませんでした。その若々しいセンチメンタリズムがお気に召さなかったようです。
 そのかわり、評論「食らうべき詩」と「時代閉塞の現状」はすばらしい、必読だ、と熱心に勧めておられました。

 「食らうべき詩」(「弓町より」)と「時代閉塞の現状」は読んだことはあったのですが、そのときにはさっぱり理解できませんでした。
 それで、生誕140年なら、もういちど読んでみよう、と。
 そのときに考えたこと、感じたことは、『弓町より遠く離れて…いや離れてないかも』
https://kakuyomu.jp/works/822139845573326952
に書きましたので、よろしかったらご覧ください。

 「食らうべき詩」では、啄木は、詩は生活に「必要」なものでなければならず、生活のなかで心に起こってきたことの「記載報告」(「レポート」)でなければならない、と論じています。
 そうなると、文語表現も定型性も否定されることになるので、実質的には短歌否定論になります。
 第二次世界大戦の敗戦直後に起こった「第二芸術論」(俳句否定論。短歌にも大きな影響を与えた)の先駆けということにもなるでしょう。
 あれだけ印象に残る短歌を作った啄木が短歌否定論とは!

 でも、「社会主義」が魅力的だった時代、自己否定とか、自己批判とかは、「社会主義」的なメンタリティーに伴うファッションだったと言っていいと思います。ただし、「ファッション」だから本気でないとか、うわべだけとか、虚飾だとか、そういうことを言いたいわけではありません。あるいは、虚飾かも知れないけど、「虚」も「飾」もだいじだよ、ということです。
 マルクス主義を典型として、社会主義は、「否定」によって前に進む、「否定」によってよりよい地点へと進む、という考えかたをします。いまの社会を否定するから、その先に素晴らしい未来が開かれるのだ、というわけです。
 社会主義にはいろいろあるので、そうではない社会主義もあったかと思いますが、「否定」によって前に進むという考えの社会主義のほうが青年の心には魅力的だったのではないでしょうか。
 啄木の短歌否定論にも、悲壮感と表裏一体になった「否定」の高揚感を感じるのです。

 このとき読んだ啄木の作品は評論だったのですが、「ついでに」という軽い気もちで、私は生成AIに短歌について訊いてみました。
 この生成AIとの対話で、現在、40歳以下くらいの若い人たちのあいだで「短歌ブーム」が起こっていること、短歌発表の主な場所はネットやSNSであることなどを知りました。
 私と生成AIの「短歌対話」は2時間近くに及び、寺山修司を戦後短歌史のなかにどう位置づけるか、啄木と尾崎豊はほんとうに似ているのかという討論にも進みました。また、俵万智さんや穂村弘さんの作品についても生成AIに教えてもらいました。
 生成AIすごいっ!!!

 そんな経緯で、私は再び短歌に興味を持つことになったわけです。

 その短歌との「再びのめぐり会い」以後のことはまた別に書くことにします。

春分の日に

 清瀬 六朗です。

 昨日、昼、私の住む東京地方は小雨が降るか降らないかというあいまいな天気でした。その天気のなか、出かけました。
 お寺が集まっているエリアを通ると、ふだんは人通りがほとんどないのに、地味な服を着た方たちのグループとよくすれ違います。若い人もいましたけど、高齢の方が多い。
 お花を手に持って。
 で、ああ、今日は「お彼岸の中日」なのかと気がつきました。

 「休日」というのは覚えていて、「春分の日」というのもなんとなくわかっていたのですが、「お彼岸の中日で、お墓参りの日」というのは忘れていました。

 そういえば、私が小さかったころ、祖母が「まえのみっかがひぃがんで、あとのみっかがひぃがんで、あとのいちにちちゅーにちだ」(「前の三日が彼岸で、後の三日が彼岸で、あとの一日中日だ」)と歌うように言っていたな、と思い出しました。

 私の家(父系)のお墓は、泊まりで行かなければいけないくらい遠い街にあります。だからなかなかお墓参りには行けません。

 なぜ春分の日が祝日かというと、祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日とされています。秋分は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」とされていて、「お墓参りの日」に近いのですが。
 春のほうは、生長の季節ということで、このような規定になったのでしょうか。
 ちなみに、旧祝日法(勅令)では春季皇霊祭でした。春季皇霊祭自体は現在も行われているということです。

 「自然、生物」と私たちの関係で考えなければいけないこと、行動しなければいけないことも変わってきています。海の水温が継続的に上がっていて魚の生息域が北に移動しているとか、熊が市街地にまで出没するとか。

 そういうことにも思いをいたす日、ということになるのかな、と思いました。

 

明けましておめでとうございます

 清瀬 六朗です。

 明けましておめでとうございます。

 今年は1月4日が日曜日で、三が日が一日延長したような感覚でいられます。

 それで、今朝、起きて、思ったこと。
 「あれっ? 今日って箱根駅伝ないんだっけ?」
 ……昨日ゴールしてます、って!

 まあそんな状態なんですが、三が日が過ぎたということで今月のスケジュールを整理したら、もう、1月の予定がたいへんなことになっていて、軽く青ざめていました。

 もともと昨年の年末はクリスマス前までまったく余裕がありませんでした。そのあと早めに休みには入れたのですが、年末ぎりぎりにまた複数の予定が湧いてきたりして、正月準備がまったくできず、バタバタしたままの年越しとなりました。

 「カクヨム」の近況ノートにも書いたのですが:
https://kakuyomu.jp/users/r_kiyose/news/822139842329996316
 昨年は、大きく何かを失ったというわけではないのですが、ちょこちょこといろんなものを失った一年でした。
 とくに「実店舗」というものの消滅が速くて、「なじみの店」、「ときどき使うだけだったけどまさかなくなるとは思っていなかった店」、「いちど行ってみようかなと思っていた店」がいくつもなくなりました。
 また、店そのものはなくなっていなくても、スタッフが入れ替わったらしく、店の雰囲気が大きく変わってしまったという店もあります。
 人の配置換えも頻繁で、こないだまでいた係の人が突然いなくなる、ということも多かったです。最近は、年度の切り替え時にだけ配置換えがあるわけではないということで、とまどいます。

 私のように若くない者には、「いまの世のなか」は、人間の情緒の変化よりも速く技術革新が進んでいるように見えてしまいます。
 技術革新だけではなく、熊が人間の生活域深くにまで出没するようになったとか、夏の酷暑化と酷暑の季節の長期化とか、自然の変化の速度も上がっているように感じます。
 それに対して、「昔はよかった」とか「最近の若い者は…」とか愚痴をこぼすことなく(まあ、ときにはこぼしますが)、自分なりにどう時代にキャッチアップし、どう考えて行くかを模索しつつ行きたいと思います。

 今年もよろしくお願いします。

これからもロックし続けよう

 清瀬 六朗です。

 昨夕(22日)、渋谷陽一が亡くなったというニュースを聞きました。
 亡くなった、しかも尊敬していたひとに対して呼び捨てというのもどうかな、ということはあります。しかし、毎週、渋谷陽一の『サウンドストリート』(NHK-FM)を聴いていたころから呼び捨てにしていて、いまさら「渋谷陽一さん」とか呼ぶのも不自然なので、ここは「渋谷陽一」とします。

 ロックをまったく知らなかった私がバンドでベースを担当することになり、読んだ「ロックの教科書」が渋谷陽一の『ロック進化論』でした。『サウンドストリート』を初めとして、渋谷陽一がDJを務めるラジオ番組も聴いていましたし、『ロッキング・オン』を毎号買っていた時期もあります。
 当時は渋谷陽一に傾倒していたつもりでいましたが、いま考えてみると、好きな音楽の傾向がそれほど重なっているわけでもなかったようです。たとえば渋谷陽一が熱烈に推していたレッド・ツェッペリンは私にはよくわからないままでした。
 渋谷陽一のラジオ番組に封書を送ったこともありました。ネットのない時代で、普通ははがきなのですが、書き切れなかったので封書で。若気の至りですね。
 その封書で私のあんまり好きでなかったアルバムを批判したのですが、後に渋谷陽一はそのアルバムをたいへん気に入っていると知って青ざめました。
 しかし、渋谷陽一がそのアルバムが好きだった理由は、じつはいまでもよくわかりません。わりとごてごてと飾り立ててきれいに整えた音楽で「ああいうの、ほんとに好きなのか?」といまでも思います。
 ただ、当時の私がよくわからなかったのは歌詞(英語です。しかも歌詞カードなし。だからいまもよくわからない)で、もしかすると渋谷陽一は、その歌詞、またはその歌詞と曲調の組み合わせに感じるものがあったのかも知れません。

 渋谷陽一の思想とか、政治的好みとかにも、当時は共感しているつもりでしたが、あとで考えてみるとかなりへだたりがあったように思います。

 渋谷陽一が活躍し始めたころは、拳を振り上げて反体制とか反資本主義とかを叫んでいれば、支持されたり、共感してもらえたりした時代は終わっていた、と、私は思います。新保守主義がポピュラーになった時代で、前の時代と同じように拳を振り上げてもだれもかっこいいと思ってくれない。「どうしてみんなおれたちを理解してくれないんだ」というナルシシズムに酔いしれれば酔いしれるほど世のなかから孤立していく。そんな時代でした。
 体制とかシステムとか、巨大商業資本とか、流行を生み出す仕組みとか、そういうものが支配する現状を変えたい、変革したいと思えば、自分も資本の支配する場所に飛び込んでいかなければいけない。そんな時代に、どうやれば、世のなかを根本的なところで変えようと「ラジカル」でいられるのか、ということを問い、実践し続けたうちの一人が渋谷陽一だったと思います。
 世のなかの根本的なところの問題は何かを知り、それを根本的に変えるにはどうすればいいか。その問題から逃げないことこそ、渋谷陽一にとってロックだったのでしょう。

 渋谷陽一が亡くなったと聞いて、自分のラジオ番組の放送が12月8日(ジョン・レノンが射殺された日のアニバーサリー)に当たったとき、渋谷陽一が、ジョン・レノンを追悼することは一人ひとりでやればいいことだから、追悼特集は組まない、と言っていたのを思い出しました。
 いま、同じことを思うべきなんだろうな、と思います。
 渋谷陽一が亡くなったことに何かを思うのであれば、自分も世のなかの根本的なところを問い、もしかしてそれが変えなければいけないものだと思ったら、それをどう変えればいいかを考えよう。
 それが渋谷陽一がやろうとした「ロックし続けること(ロッキング・オン)」だと思うから。

またやってしまいました

 清瀬 六朗です。

 昨夜(15日の夜)、東京は体感では蒸し暑かったのですが気温はそこまではなかったようで、冷房をつけたまま寝ると、今朝は風邪気味でした。
 念のためと思って風邪薬を飲んだら、風邪にはならなかったみたいですが、そのかわり眠くてたまらず、早めに寝落ちしてこの時間に起きています。

やってしまいました

 あやまちを二度繰り返すやつ!
 去年、気象予報士試験の申し込みを忘れて、今年(2025年)の1月に受験できなかったのですが。
 またやってしまいました。
 8月の試験は7月4日締切だったのですが。
 すっかり、忘れてました!

 今年の1月は、まだ知識がなくて、受験してもまず通らなかったと思います。
 今回も、無理っぽいとは思ってはいましたけど、どういう試験かわかるためにも、受けておきたいと思っていたのです。
 次のチャンス、2026年1月に受験ということになります。ただ、1月は仕事スケジュールの影響をすごく受けるので、その日を空けられるかがまだわかりませんが。
 ちなみに、過去問(『気象予報士試験精選問題集』成山堂書店)を解くと、まぐれ当たり率は高くなりました。
 ……って、ダメじゃん。まぐれ当たりとか……。
 ですが、学科試験は、選択肢5つで、2つか3つぐらいまで絞れて、そのなかに正解が入る率は高くなってきました。
 これでさらに精度を上げていけば、という見通しです。
 実技はまだまだです。
 「設問が何を言っているかさっぱりわからない」という段階ではなくなりましたが、まだ解答をちゃんとしたことばにできない。「このへんの高気圧がこうなってて風がこっちに吹いてるからこう」程度ならばなんとなく言えるようになって来たけど、それじゃ正解にならないから。
 まあ。
 がんばります。

 

制服コミュニケーション7申し込みました!

 で、気象予報士試験の申し込みは忘れても、イベント申し込みは忘れませんでした。
 制服コミュニケーション7
 10月19日 12:00~16:00
 プラザマーム2階イベントホール(東京・日本橋浜町 金座通り沿い)
https://cc.uniformkiss.com/

 

芥川賞直木賞ともに該当作なし

 こうなったら、もうだれかが『該当作なし』というタイトルで「何らかの新しい試み、新しい視点をもたらす」作品を書いて芥川賞直木賞を狙い、「受賞作は『該当作なし』です」とかやるしかないのでは?
 私自身は、芥川賞にも直木賞にもほとんど何の関心もないのですが。
 選考委員のうち島田雅彦さんは昭和58年/1983年上半期で「該当作なし」で「優しいサヨクのための嬉遊曲」での芥川賞を逸しているので、今回の「該当作なし」についてのコメントを知りたいところです(16日深夜現在で検索したところ、見当たりませんでした)。

七夕

 清瀬 六朗です。

 今日は新暦グレゴリオ暦)七夕です。
 毎年ならば、「新暦の7月7日は梅雨明けしていないので晴れの夜空はあまり期待できない」というところなのですが、今年は実質的に梅雨明けしているので晴れそう……。
 と思ったら!
 なんか、夜になって曇ってきたところけっこうあるっぽい?
 でも、気象庁の天気分布予報を見ると、夜のどこかの時間では晴れるところあるっぽい?
 ……という感じです。

 昼によく晴れて、夜に曇ると、地面の熱が雲に遮られて飛んで行かない(放射冷却が進まない)ので、暑いんだけど!
 もー!

 ところで、ふだんの年は7月7日はなかなか晴れないので、国立天文台が旧暦七夕にあたる日を「伝統的七夕」として発表しています。
 伝統的七夕は今年は8月29日です。だいぶ先ですね。
 台湾などでは旧暦で七夕を祝うので、伝統的七夕と日程が合います。ちなみに台湾では旧暦7月7日は「恋人の日(情人節)」です。

 旧暦は月が基準の暦なので、七夕は必ず半月(上弦月)の前後になります。夜の後半は「恋人たちの時間」だから月明かりがない、というのが旧暦の七夕のセオリー(?)なんですが。
 今日は、半月は過ぎていますが、「夜の後半は月がない」というところは昔ながらの七夕に似ています。
 ということで、ハッピーな一夜を。
 ……暑いけど……。