清瀬 六朗です。
昨夕(22日)、渋谷陽一が亡くなったというニュースを聞きました。
亡くなった、しかも尊敬していたひとに対して呼び捨てというのもどうかな、ということはあります。しかし、毎週、渋谷陽一の『サウンドストリート』(NHK-FM)を聴いていたころから呼び捨てにしていて、いまさら「渋谷陽一さん」とか呼ぶのも不自然なので、ここは「渋谷陽一」とします。
ロックをまったく知らなかった私がバンドでベースを担当することになり、読んだ「ロックの教科書」が渋谷陽一の『ロック進化論』でした。『サウンドストリート』を初めとして、渋谷陽一がDJを務めるラジオ番組も聴いていましたし、『ロッキング・オン』を毎号買っていた時期もあります。
当時は渋谷陽一に傾倒していたつもりでいましたが、いま考えてみると、好きな音楽の傾向がそれほど重なっているわけでもなかったようです。たとえば渋谷陽一が熱烈に推していたレッド・ツェッペリンは私にはよくわからないままでした。
渋谷陽一のラジオ番組に封書を送ったこともありました。ネットのない時代で、普通ははがきなのですが、書き切れなかったので封書で。若気の至りですね。
その封書で私のあんまり好きでなかったアルバムを批判したのですが、後に渋谷陽一はそのアルバムをたいへん気に入っていると知って青ざめました。
しかし、渋谷陽一がそのアルバムが好きだった理由は、じつはいまでもよくわかりません。わりとごてごてと飾り立ててきれいに整えた音楽で「ああいうの、ほんとに好きなのか?」といまでも思います。
ただ、当時の私がよくわからなかったのは歌詞(英語です。しかも歌詞カードなし。だからいまもよくわからない)で、もしかすると渋谷陽一は、その歌詞、またはその歌詞と曲調の組み合わせに感じるものがあったのかも知れません。
渋谷陽一の思想とか、政治的好みとかにも、当時は共感しているつもりでしたが、あとで考えてみるとかなりへだたりがあったように思います。
渋谷陽一が活躍し始めたころは、拳を振り上げて反体制とか反資本主義とかを叫んでいれば、支持されたり、共感してもらえたりした時代は終わっていた、と、私は思います。新保守主義がポピュラーになった時代で、前の時代と同じように拳を振り上げてもだれもかっこいいと思ってくれない。「どうしてみんなおれたちを理解してくれないんだ」というナルシシズムに酔いしれれば酔いしれるほど世のなかから孤立していく。そんな時代でした。
体制とかシステムとか、巨大商業資本とか、流行を生み出す仕組みとか、そういうものが支配する現状を変えたい、変革したいと思えば、自分も資本の支配する場所に飛び込んでいかなければいけない。そんな時代に、どうやれば、世のなかを根本的なところで変えようと「ラジカル」でいられるのか、ということを問い、実践し続けたうちの一人が渋谷陽一だったと思います。
世のなかの根本的なところの問題は何かを知り、それを根本的に変えるにはどうすればいいか。その問題から逃げないことこそ、渋谷陽一にとってロックだったのでしょう。
渋谷陽一が亡くなったと聞いて、自分のラジオ番組の放送が12月8日(ジョン・レノンが射殺された日のアニバーサリー)に当たったとき、渋谷陽一が、ジョン・レノンを追悼することは一人ひとりでやればいいことだから、追悼特集は組まない、と言っていたのを思い出しました。
いま、同じことを思うべきなんだろうな、と思います。
渋谷陽一が亡くなったことに何かを思うのであれば、自分も世のなかの根本的なところを問い、もしかしてそれが変えなければいけないものだと思ったら、それをどう変えればいいかを考えよう。
それが渋谷陽一がやろうとした「ロックし続けること(ロッキング・オン)」だと思うから。