猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

しかし終わったときには「国」どうしの戦争だった

 だから、「百年戦争」は、フランス王と、イギリス王の地位を持つフランス諸侯とが、「家の財産」の取り分を争う戦争として始まった。要するに、フランスの王侯貴族どうしの戦争だったわけです。イギリスとフランスの戦争ではなく、そのフランスの諸侯の一方が「イギリス王」の王位を持っていたに過ぎない。
 しかし、百年戦争が終わったときにも、やっぱりフランスの王侯貴族どうしの「家の財産」をめぐる戦争だったかというと、そうではない。
 エドワード3世の曾孫に当たるランカスター家のヘンリー5世のころには、王は次第に「諸侯家の財産としてのフランス王の地位を争っている」のではなく「イギリス代表としてフランスと戦っている」という意識が生まれてくる。臣下のイギリス貴族にはイギリス人としての意識が生まれ、貴族より下の人びとも政治に関わりを持ち始めます。それまでの「イギリス王の王位も持つフランス諸侯」の王がフランス語を話したのに対して、ヘンリー5世は英語を話す「イギリス人」になっていた(家系がいちど王家から分離して王の臣下の立場になっていたから?)。この本にはあまり出てきませんが、イギリス王が戦費調達のために開いた貴族・有力者会合が次第に「議会」の実質を持ち始め、いまと同じ「貴族院庶民院衆議院)」の二院制のかたちまで成長していたことも、イギリス王が「イギリス代表」と意識されるようになった背景の一つでしょう。
 勢いに乗るヘンリー5世は、フランス王シャルル6世の後継者の地位をフランス側に条約で認めさせる。したがって、シャルル6世の没後にはヘンリー5世はイギリス王とフランス王の地位を兼ねることになります。これは、かつてのように、ヘンリー5世という「諸侯」が自分の財産として「イギリス王」と「フランス王」を手にした、ということではない。「家」の原理ではヘンリー5世にはどうやってもシャルル6世の後継者としてフランス王位を要求する資格が生じない(「家の財産として王位が受け継がれている」という考えからすれば、最初からイギリス王家が正統なフランス王位の正統な保持者ならばシャルル6世の王位を認めた上でその後継者になる必要はなく、シャルル6世の王位を認めるならばイギリス王家はフランス王位を請求できない)。そうではなく、イギリスの代表としての王が実力でフランスに勝ち、その結果として王の地位を要求しているのだと著者は言うわけです。
 ところが、そのヘンリー5世がシャルル6世より先に亡くなってしまい、フランス王家側には後継者候補としてシャルル7世がいた。イギリス王ヘンリー5世とシャルル7世のあいだで戦いが続く。フランスの有力諸侯で、ヴァロワ家の分家であるブルゴーニュ家はイギリス側につく。その窮状から、オルレアンの包囲を解いてシャルル7世を救ったのが少女ジャンヌ・ダルクだった。ジャンヌ・ダルクがフランスの「国民的英雄(ヒロイン)」になるのは、19世紀の初め、まだ皇帝になっていなかったナポレオン・ボナパルトが宣伝したからで、その時代には地方出身の庶民の娘にすぎなかった(まあ魔法少女だったかどうかは別にして……)。
 でも、著者は、だからこそジャンヌ・ダルクの「フランスを救え」ということばを重視します。正式に王になっていないシャルル7世個人を救うのではなく、「フランス」を救うという。しかも、ジャンヌ・ダルクは、イギリス王は敵だけれど、その同盟者であるブルゴーニュ公は本来は敵ではないとみていた。ここから見ると、この時代の庶民には「フランス人」という意識が生まれ、フランス人の王がフランスを支配しなければならないという意識が生まれていたのではないかというわけです。
 だから、フランスの王侯貴族が、国民や領民の都合には関係なく、「家の財産」をめぐる争いとして始めた戦争は、終わったときには「イギリス(イングランド)とフランスの戦争」になっていた。イギリスとフランスという「国」どうしが百年戦争を戦ったのではなく、百年戦争(と後に呼ばれる一群の戦争)から、イギリスとフランスが、「王侯貴族の家の財産」から「国」へと成長したのだ、というわけです。
 もう、王は国民や領民の都合にかまわず「国」を自分の財産扱いするわけにはいかない。逆に、国民や領民も、いまの王や領主がいやだからと言って、王の一族や以前の支配者に新しく王や領主になってくれと言うこともできない。王も、国民も、「国」に強くつなぎ止められていて、その国で、王として、国民として生きるしかない。そんな「国」が、この戦争の終わりには生まれ始めていた。