猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「今度こそ!」

ところで、やっぱり新刊を作っていなかったことは後悔しました。どんなに急ごしらえでも、お客さんがいらしたときに「これ新刊です」と言えるものがあるかどうかというのは、売る側の気の張りという点でもかなり違うように思います。 ここにずっと書いている…

イベント帰りに鞄が重くなることの量子力学的解釈

今回は、午前中は雨という予報があり、いつも使っている背負うバッグの防水が怪しくなっていたので、手提げ鞄で行ったのですが、これが失敗で。とくに本を買った帰りはとても重かったです。 これはやっぱり、岩漫が開かれているあいだに相転移が起こって、ヒ…

岩漫遅刻の量子力学的解釈=言いわけ ほか

岩漫61に行って来ました。 東京から参加していて、しかも前の晩までジタバタしているのが普通なので、毎回遅刻、前回は大幅遅刻という実績で、今回は新刊がなかったので間に合うように行こうと思っていたのですが、……すみません起きた時点ですでにどうやって…

「何もない」は言えない場を相手にする学問

「何もないことになっている真空のなかにあるかも知れないもの」として考えられるものを並べてきました。専門家じゃないひとが考えつくことと言ったら、これぐらいじゃないかな――といまの私は思っています。 「真空」というのを突き詰めて「ほんとうに何もな…

「あるものがない」とは言えるが「何もない」とは言えない

3. 私たちには見つけ出すことのできない何者か 私たちはこの世のなかに存在する「もの」をすべて知っているわけではありません。しかも、それは、どこか遠いところに隠されていて、何か特別な魔法と特別な鍵を手に入れれば私たちの手に入る、というものばか…

「京都力」の働き

2. 粒子の対生成と対消滅 「零点振動」というのがこれだと思うのですが、私にはよくわかりません。 「何もない」というのは、安定しているようでいて、けっこう不安定です。ね? 私たちだって「よけいなことを考えるな」といわれたら、かえって「よけいなこ…

では「真空」には何がある?

そこで、「真の真空」がないとすれば、その「真空」には何があるか? 私の理解で整理すると、これがまたいくつかの意味があるように思いますので、それを書き連ねてみます。 1. 「力」を伝える媒体の粒子 「真空」でも電磁波は伝わる。目に見える光も電磁波…

世界に「真の」はない

佐藤さんがこの本で強調しているのは、素粒子物理学には「真の……」という存在はないということです。 典型的なのが「真空」で、普通に「真空」というと何もないことです。しかし、素粒子物理学では「何もない真空」はない。 その意味というのが、この本の説…

「岩漫の新刊」はありません

今日作るということにしていたのですが、無料配布の『すずのね』を作ったところで時間が来てしまいました。数年前なら、そこから原稿を書いて割り付けて印刷して製本して寝ないで持って行くということに挑むだけの元気があったのですが、今年はちょっとその…

「真空」のなかには何があるか?――の考察

今日もまた佐藤文隆『破られた対称性』についてです。で、また最初にお知らせです。

「段階論」以外の考えかた

しかし、佐藤さんによると、素粒子物理学でも「段階論」以外の考えかたもある。その一つは、起こってしまった現象から何が起こったかを考える観想的な立場で、量子力学の基本を作ったうちの一人、ニールス・ボーアの立場がそれにあたるということですが……こ…

「段階論」という発想

そこで、科学者であり、マルクス主義者でもあった武谷三男というひとが「三段階論」というのを唱えた。自然認識は「現象論→実体論→本質論」と段階を追って進む。段階を飛ばしたら失敗するという考えかたです。 これは、当時のマルクス主義の革命理論と同じ性…

「文系」・「理系」が分かれる以前の「科学」

マルクスが思想家として登場した1840年代ごろというのは、「科学」(サイエンス。むしろ「知」というほうが近いと思いますが。「知」ってこなれないことばなので私はあまり使わないけれど)が「人間・社会についての科学」と「自然についての科学」が分離す…

マルクス主義が「宇宙的」に正しかった時代

いまとなっては、マルクス主義はせいぜい社会についての理論にすぎません。しかもその「正しさ」感は失われています。「マルクスを再評価しよう」とがんばっている人は何人もいますが、「マルクス主義」の評価はよくない。マルクスの再評価に取り組んでいる…

「思想としての理論物理学」論

この『破られた対称性』の特徴は、理論物理学の思想的背景について深く触れているところだと思います。 20世紀の日本の素粒子物理学に大きな影響を与えたのが名古屋大学の坂田昌一という研究者で、この坂田昌一はマルクス主義の影響を強く受けた研究者だった…

「アトリエそねっと」岩漫61に参加します

9月19日(日)に盛岡市サンビルで開催される 岩漫61 に参加します。 新刊として予定していた『黄昏の大地』第三巻は諸般の事情で(≒仕事が予想以上に忙しくなったため)刊行延期にしました。つまり落ちました。すみません。11月のコミティアで当選すればその…

「思想としての理論物理学」

今回も佐藤文隆『破られた対称性』についてです。でも、その前に、まずお知らせです。

クォークはなぜクォークなのか?

もう一つ、「クォーク」がなぜ「クォーク」なのかという理由も、この本でようやくわかったことの一つです。 クォークというのは、陽子とか中性子とかいう、原子核を構成している「粒子」をさらに構成している基本粒子のことです。普通には「アップ」と「ダウ…

「質量」のネコミミ的理解

つまり粒子の「真の大きさ」というのは存在しない。「どの粒子に対する大きさ=その粒子を通り抜けさせない範囲の広がり」かというので判断しないといけない。 同じように、「質量」というのも条件によって変わるわけで、たとえば「ヒッグズ粒子」というのが…

粒子の「大きさ」・「質量」とは?

この本で新しく知ったのは、粒子の「大きさ」・「質量(重さ)」の基準についてです。 量子力学では粒子というのは「場の状態」の一つだと考えます(と言っていいんだろうなぁ……?)。この本にも出てくる、朝永振一郎の使ったたとえでいうと、「場」の電光掲…

佐藤文隆『破られた対称性』について(2)

この本の「難解」なところは、理論物理学で使う数学とかをできるだけ端折らずに(もちろん専門家の立場からいえば大きく端折っているのでしょうけど)説明しているところだ――と前回書きました。でも、逆にいうと、それがこの本のいいところでもあるわけで。

なぜ「数学には一つの答えしかない」のか?

だいたい「数学には一つしか答えがない」ということ自体が、イデオロギーか、思いこみか、ものを考えるときの労力の省略法か、生徒を混乱させず、かつ怠けさせないためのお説教に過ぎない。「1+1=2」で止めておいたほうが話がごちゃごちゃせずにすむのであ…

「数学には一つの正解しかない」ということはない

二つめの「難解」さには触れないとして、一つめの点についてです。とくにわかりにくいのが、理論物理学、とくに素粒子物理学で使われる数学の難解さです。 そりゃそうです。「高等数学」なんだから。でも、その「わかりにくさ」を追究してみると、その一つの…

なぜこの本が難解なのか?

正直に言えば、ともかく 難解 でした。 まず、ところどころに出てくる専門用語がよく理解できない。専門用語を説明する「コラム」も設けられているのだけれど、私には「コラム」自体が難解で、しかも「コラム」を読んでいるうちに本文の流れを忘れてしまうの…

佐藤文隆『破られた対称性』PHPサイエンス・ワールド新書、isbn:9784569709000

2008年、南部陽一郎、小林誠、益川敏英の三人の日本人がノーベル物理学賞を受賞しました。この本は、このノーベル物理学賞をもたらした三人の研究、とくに小林‐益川理論の説明と、それを生み出した日本の学会の雰囲気について、現在では日本の理論物理学界の…

本題に入る前のお知らせ

えーと、「アトリエそねっと」の同人誌のことなんですけど。 ファンタジー(いちおう)『黄昏の大地』の第三巻は岩漫にも間に合わなくなりました。 もともと8月のコミティアに間に合わせようとしていて、間に合わなくなり、岩漫に間に合わせるべく準備を進め…