猫も歩けば...

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「文系」・「理系」が分かれる以前の「科学」

 マルクスが思想家として登場した1840年代ごろというのは、「科学」(サイエンス。むしろ「知」というほうが近いと思いますが。「知」ってこなれないことばなので私はあまり使わないけれど)が「人間・社会についての科学」と「自然についての科学」が分離する直前の時代だったと言っていいと思います。マルクスの前のヘーゲルにしても、その前のカントにしてもデカルトにしても、「人間・社会」か「自然」かという分野の区別なしに業績を残しています。ライプニッツは哲学の人かと思っていたら、微分法を開発したのはライプニッツ(とニュートン)だったり、「星雲が回っているうちに太陽系が生まれた」という太陽系形成理論の初歩を案出したのがカント(とラプラス)だったり、もうなんかいろいろです。読んだことはないけど、マルクスも、その学位論文というのは、デモクリトス(古典時代のギリシアの自然科学者・哲学者)とエピクロス(それより後の自然科学者・哲学者。心の平安を求める「快楽主義」で知られる)の原子観の相違――みたいなのだったと思う。
 それが、やがて「文系」のひとは「理系」のことはわからない、「理系」のひとは「文系」のことはわからないというように分離していくわけですが、マルクス主義はそれを一つにつなぎ止める、「統一的に理解する」という方向性を持っていたわけです。それは、「マルクス主義の新しさ」というより、マルクスが持っていた19世紀初めまでの「科学」の雰囲気がその「主義」に残ったものだったのかも知れません。