2009-06-01から1ヶ月間の記事一覧
ロックの貨幣論は、貨幣自体が「腐らない」ということが強調されているので、読んだとき何か変な感じがする(少なくとも私はしました)。でも、貨幣が腐るか腐らないかだけがこのロックの議論の「本質」ではない――といまでは思っています。 短い時間で腐って…
ただし、さっきから何度も書いている限定があって、自分で労力を使って手に入れたものでも、腐らせてしまうしかない部分は自分の「財産」にはなりません。たとえば、温帯地方で、冷蔵庫も冷凍庫もなくて、自分一人で食べる目的で「100食分の肉」を獲得しよう…
さて、ロックのばあい、自然の状態で(つまり、人間どうしの約束ごとがとくに存在しないばあい)「これは自分の財産だ」と主張できる根拠は、「自分の労力で手に入れたこと」です。森の木の実はだれのものでもないけれど、それをもぎ取って自分のものにした…
上のところまで書いて、冷蔵庫に入れておいた作り置きのごはんとおかずを温めて飯を食いました。そこであらためて考えてみれば、17世紀って、冷蔵庫がなかったんだよなぁ。防虫剤も、除湿装置も。だから、ロックがこれを書いた時代、「あとで使おう(食べよ…
以前、最初にロックのこの議論を読んだときには「わ〜、むちゃくちゃ言ってるよこの人!」と思いました。 貨幣で溜めた財産であっても、人間が「生き延びる」ために一生に使う財産には限りがあるはずで、それを超えて財産を溜めこむのを認めるのは、それまで…
ロックの「生き延びるために必要なものは自分に固有のもの=自分の財産にできる」という議論には「いつか自分が生き延びるために利用できればよい」という条件がありました。 ロックの議論を「人間は自分が生き延びるために必要な分の財産しか持ってはいけな…
あいかわらず、ジョン・ロック/加藤節(訳)『統治二論』「第二論」(通称:「市民政府論」)の話です。
このロックの「財産」論は、一方では、「世界はあらかじめ神様によって人間に与えられている」という「人間中心の自然観」につながる。神様から、世界にあるあらゆる「もの」は動植物を含めて人間が優先的に使っていいという権利を与えられているというとい…
さて、ここまでのところは、人間は生き延びるべきであり、しかし悪いやつは殺されてもしかたがないという議論で、それほど独特な感じもしない。 ロックで独特なのは、この世界は、人間が「生き延びる」ための「資源」として神様から人間に与えられているとい…
ところで、「自分が生き延びる」という義務と、「人を殺してはならない」という義務がぶつかったときには、「自分が生き延びる」ほうが優先されます(ただし自分は善良な人間であるということが前提ですけど)。つまり、悪人に襲われたり、悪人が人を殺そう…
また、子どもは親から生まれるとしても、子どもの命はあくまで神様が与えるものだというのがロックの原則です。親は、子どもが大きくなるまで、子どもが無事に大人になるように保護し管理するように、神様から委託されている存在だと考えます。だから、親が…
ここから、まず、人間は神様によって造られたのだから、人間が勝手に人間の命を奪ったり、縮めたりすることは基本的に許されないという原則が出てきます。自殺は許されないし、たぶん、むちゃな生きかたをして命を縮めたりしてもいけないのでしょう。原則と…
ロックは、フィルマー卿の王権神授説の議論を「聖書にはそんなことは書いていない」と聖書(主に旧約聖書)を縦横に引用しつつ論破したわけですが、自分の政治論をうち立てるのには必ずしも聖書の記述にこだわっていません。 ロックの議論の基本は、人間もこ…
ジョン・ロック/加藤節(訳)『統治二論』の「第二論」(通称「市民政府論」)の話のつづきです――と言いつつ、これまで長いあいだあまり関係なさそうな話題をさまよっていましたが、今回は「第二論」自体に話を戻します。
ともかく、事実として、中世の西ヨーロッパの政治は、支配者は神様からその地位を与えられているというたてまえによって運営されることになりました。それは、カトリック教会の聖職者が皇帝や王に冠を授ける(戴冠させる)ことによって行われた。たてまえと…
でも、それが「一人」でなければならないかというと、どうなのでしょう? 国の政治を「代表」する人が一人決まっていたほうが、その国の政治をイメージしやすいということはあります。だからたとえばアメリカの政治だと大統領に注目が集まる。実際にアメリカ…
もう一つ、ここで問題になるのは、領域が広くなると、「絶対的な権威を持つ一人の支配」、つまり「専制王制」でなければうまくいかないと考えられていることです。これは18世紀ごろまでは西ヨーロッパでは常識だったらしい。ルソーもそういうことを書いてい…
でも、実感としては「そぉかぁ〜?!」と思ってみたり。 私の経験では必ずしもそうではありません。大きいマンションで管理組合がちゃんと機能しているかと思えば、小さいアパートでもいちいち大家さんに言って注意してもらわないと小さい問題も解決しないとい…
ところで、都市的な人間関係が崩れ、都市の枠を超えた人間や物のつながりがたくさんできてくると、どうして「神様の権威を頼りにした絶対的支配」が必要になるのでしょうか。 考えられる答えの一つは「共同意識」や信頼感の有無だと思います。 一つの都市の…
ああ、こんなに長く書いたのに、話がロックまで戻らなかった。どうしよう……。 いや、「どうしよう」って言ったって、まあ、続けるか、中断するかどっちかしかないわけだから……続けます。 次で「キリスト教と政治支配(統治)」という問題を扱ったあと、「ロ…
そして、その流れで考えると、江戸時代の「幕藩体制」も、できてから200年ほど経つといろいろと綻びてくるわけです。 普通は「ペリー来航」を中心とする「外圧」の影響で説明されるけれど、たぶん、「外圧」がなくても「幕藩体制」は弛んでいたのではないか…
しかし、「面積が広くなりすぎた」というだけではないのかも知れません。 支配領域が大きくなったのはローマがまだ「共和制国家」の体裁を保っていた紀元前2世紀ごろからです。でも、「共和制国家」の末期から、その「共和制国家」の枠内で皇帝制度が動き始…
どうしてそうなってしまったのか? 「帝国が大きくなりすぎたから」というのがとりあえずの答えなのでしょう。 五賢帝の3人めにあたるハドリアヌス帝は、その治世のあいだ、帝国内の各地を頻繁にめぐって過ごしました。また、五賢帝の最後のマルクス・アウレ…
さて、そのように、実質はともかく、形式的には「共和制の枠内の称号・役職」として出発したローマの皇帝制も、3〜4世紀のころには「専制」の皇帝制を採用しなければ収まりがつかなくなってしまいます。自分が神様だと言って崇拝を強制した皇帝もいますし、…
さて、前回、ローマ帝国の「皇帝」が、もともと「共和制国家」( res publica )の枠内の称号・役職名として名のられたものだったということを書きました。ローマ帝国に「皇帝」が生まれたことは、「共和制国家」の枠を破る事件ではなかったわけです。 とこ…
あいかわらず「承前」で話が続きます。 ジョン・ロック/加藤節(訳)『統治二論』の後編(第二論、通称「市民政府論」)の話――だったはずなんですが、前回、「統治」体制をギリシア都市世界の「自由」と東方巨大王国の「専制」に分ける発想がどこで生まれたか…
さて、この「一つの役職には必ず二人以上を任命する」という制度にも一つだけ例外があったそうです。それが「独裁官」 dictator という制度です。都市が危機に陥ったときに限り、しかも期間を厳しく限定して、一人に権力を集中するのです。つまり、「独裁」…
そして、その都市ローマは、「王制」的なものを極度に嫌う性格のある都市でした。 都市ローマはもともと王制都市として出発しました。しかし、悪政を行う王が出たので、市民が王を追放したとされています。そして、それから、王制が復活しないように「政治」…
この「自由な都市」と「専制王国」という意識がローマ共和制国家〜ローマ帝国を経て受け継がれたということが、事態をさらにややこしくしているように私には思えます。 ローマは後に「帝国」になり、中近東からスペインまで、イギリスからアフリカ北海岸まで…
「自由」なギリシア諸都市の「政治」(=都市運営)体制の一つのやり方として、権力を一人に集中する「君主制」という方式がある。他方で、ペルシアやエジプトなどの東方の国家の、人民を王の「持ちもの」としてこき使う「専制」的な王制がある。ロックはこ…