猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

ローマとはどういう国家だったか

 この「自由な都市」と「専制王国」という意識がローマ共和制国家〜ローマ帝国を経て受け継がれたということが、事態をさらにややこしくしているように私には思えます。
 ローマは後に「帝国」になり、中近東からスペインまで、イギリスからアフリカ北海岸までを支配する大国になりますが、出発点はあくまで都市としてのローマです。つまり、いまのイタリアの首都になっているローマです。しかも、帝制時代に入ってしばらく経つまで、都市としてのローマが「本体」であり、イタリアの諸都市がその「本体」と緊密に結ばれた「本土」であり、残りが「属領」(「属州」)であるという意識があったのだろうと思います(このあたりは、受け売りの上に、受け売りのもとになった本が何だったかもよく覚えていない状態なので、自信のない書きかたになってしまいます)。
 ローマ帝国の「本体」として具体的な都市としての「ローマ」が意識されなくなっても、ローマの都市政治がローマ帝国の政治の「あるべき姿」だという意識は受け継がれたようです。たとえば、首都もコンスタンティノープルコンスタンティノポリス、現在のイスタンブールトルコ語は長短音の区別がないので「イスタンブル」というのが「正しい」のだそうです)に移り、「専制」的な皇帝支配が定着した時期の「(東)ローマ帝国」=ビザンティン帝国にも、皇帝の即位を正当化するために万歳をするための「民衆」という役職(ようするにお役人)があったのだそうです。「皇帝は民衆の歓呼で迎えられなければならない」という「共和制の都市」的な伝統が、「民衆が立てる皇帝」などという支配の実質はずっと前になくなっているのに、「民衆」という名まえだけ役職名として残ったらしい。