猫も歩けば...

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「共和制」ローマの人事制度、そして、カイシャの「?」な話

 そして、その都市ローマは、「王制」的なものを極度に嫌う性格のある都市でした。
 都市ローマはもともと王制都市として出発しました。しかし、悪政を行う王が出たので、市民が王を追放したとされています。そして、それから、王制が復活しないように「政治」(=都市運営)体制を工夫したということになっています。
 それは「すべての官職に複数の人を任命する」という体制です。行政長官であるコンスルは二人、そのほかの官職も二人以上を必ず任命して、絶対に一人に権力が集中しない体制を作ったのです。
 これも、いつの時点で「王制の復活を防ぐため」という説明が導入されたのかはよくわかりません。もとからだったのかも知れないし、後の時代に「あとづけの説明」かも知れません。これについては、私は、古典時代ギリシアの例よりもさらによくわからないので、これ以上、深く考えないことにします。
 ともかく、「王ではなく、都市(国)のみんなが管理し運営する国家」という理念を表したことばが、前に取り上げた res publica (レース・プブリカ)ということばです。今回は「共和国」とか「共和制」としておきましょう。この res publica を英語訳したのが commonwealthコモンウェルス)ということばだということも前に書きました。
 それにしても、現在の会社とかで「一つの役職には必ず二人以上」という人事をやると、「むだな人事」とか「意志決定の責任の所在が明確でない」とか言われて、非難されたり、是正を求められたりするのだろうな。むしろ、江戸時代の幕府で、老中などの役職に複数の人が任命されていたような体制がこの古代ローマの体制に近いのかも知れません。
 現在の会社組織などにあてはめれば、たとえば同じ職に二人いるうちの片方が執行の役、片方が監査の役に相当するのだろうけれど、古代ローマの組織原理では、執行役の人と監査役の人をはっきり分けないで分担させることでチェック機能を働かせようということになる。これだと、「責任の所在」などははっきりしなくなるかも知れないけれど、監査の人が、執行の人のやっていることがよくわからなくて丸め込まれたり、逆に、監査の人が執行の人のやることの細かいところまで問題にして監査の人が「憎まれ役」になったりという事態は起こりにくい。一面では仕事仲間だから仕事の細かいところまでわかるし、一面では競争相手だから相手へのチェックが厳しくなるというわけです。この共和制ローマ的な人事にも利点はあると思います。いまの会社などでそのまま活かすのは難しいだろうけど。
 監査の人にいろいろと指摘される人も辛いけど、監査の人も辛いですよね。なんか、いまの会社制度って、アメリカが作ったのか何か知らないけど、たくさんの人にむだに辛い思いをさせる制度になってないか? なってるだろ? ――と思うんですけど。いまこそ「権限も責任もはっきりしないけれど、うまく行く制度」みたいなのの再発見に動くべきだと思うんだけど、こんなことを言えば、コーポレイト・ガバナンスやコンプライアンスの専門家さんが激怒しそうです。これ以上形式を厳しくする方法での対処ではもう有効性がないと思う。では、「明確な制度」で「形式」以外の何かを作れるかというと、それも難しい。そういうことはわかってはいるのですけど……。
 せめて、さ、「コーポレイト・ガバナンス」(企業統治)や「コンプライアンス」(法令遵守)が、いまだにカタカナ語のままでのほうが通用しやすいのはなぜなのか――そういうことを意識してみましょうよ。ちょっとでいいからさ。