猫も歩けば...

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「絶対的な神様」の権威が必要な時代へ

 さて、そのように、実質はともかく、形式的には「共和制の枠内の称号・役職」として出発したローマの皇帝制も、3〜4世紀のころには「専制」の皇帝制を採用しなければ収まりがつかなくなってしまいます。自分が神様だと言って崇拝を強制した皇帝もいますし、ギリシア・ローマの古い神様を持ち出してその神様の絶対化を図った皇帝もいます。コンスタンティヌス大帝によるキリスト教の採用もその一環です。
 キリスト教を基準にすると、「皇帝崇拝を強制してキリスト教を大迫害した皇帝(ディオクレティアヌス)→キリスト教を採用した偉大な皇帝(コンスタンティヌス)→古い神様を持ち出すことでキリスト教を否定した背教者皇帝(ユリアヌス)→キリスト教「国教」化(テオドシウス)」と、動揺していたとか、「キリスト教化とそれへの反動とが起こった」とかいう見かたになってしまう。けれども、それは「ローマ帝国キリスト教の採用という方向へ向かうのが正しい方向だった」という基準でしか成り立たない見かたです。自分が神様だというのであれ、ほかの絶対的な神様の権威を利用するのであれ、支配には「絶対的な神様」の権威が必要だという方向は一貫している。「絶対的な神様」の権威が支配を支えていないと帝国の支配ができない(たぶん、支えていてもなかなか難しい)という時代が来てしまったのです。