猫も歩けば...

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「皇帝」は実質「大統領」だった?

 さて、前回、ローマ帝国の「皇帝」が、もともと「共和制国家」( res publica )の枠内の称号・役職名として名のられたものだったということを書きました。ローマ帝国に「皇帝」が生まれたことは、「共和制国家」の枠を破る事件ではなかったわけです。
 ところで、ローマ皇帝のそのような性格、とくに「市民の第一人者」としての支配という面を強調して、「ローマ帝国の皇帝は実質的に大統領だった」という議論を展開するひとがいます。
 とくに中国の「皇帝」とは区別するべきだという議論がある。中国の「皇帝」の「帝」の字は、いまから3000年以上前、とくに殷王朝(自称は「商」王朝)の時代に「位の高い天上の神」として信仰された神の名まえである。「皇」は、「煌」の意味だとすると「光り輝く」、「皇」のままだと「大いなる」で、「皇帝」で「光り輝く最高神」または「大いなる最高神」の意味になる。そういう「絶対神」としての皇帝と、ローマ帝国の「市民の第一人者」としての「皇帝」はぜんぜん別物であるというわけです。
 私自身は、ローマ帝国の皇帝は中国の皇帝とは性格が違うという議論には一理も二理も三理もあると思っています。しかし、「ローマ帝国の皇帝は実質は大統領だった」とか、「ローマ帝国の皇帝は市民の第一人者=元老院議員として最初に名まえが挙がる人としての権威のみに依拠していた」とかいう「民主的」な面だけを見て理解をするなら、私はそれも一方的な見かたではないかと思っています。
 まず、「大統領」との違いとして、ローマ帝国の皇帝(アウグストゥスカエサルインペラトル)は「任期制」ではありません。基本的に、一度選ばれたら、終身、皇帝のままです。これは「共和制」の役職が基本的に任期制であるのと較べると、性格が大きく異なる。やはり特権的な役職なのです。もちろん現在の世界各国の大統領とも異なる点です。
 また、基本的に皇帝の地位は世襲されます。
 初代アウグストゥスオクタウィアヌス)と、次の皇帝ティベリウスが相当に「遠縁」であるとか、よく知られている「五賢帝」のネルウァトラヤヌスハドリアヌスアントニヌス・ピウス(アントニヌス敬虔帝)、マルクス・アウレリウスが、薄い血縁でしかつながっていない人物を「養子」として迎えることで帝位が継承されたとかいう話はあります。しかし、それはほかに世襲の後継者として適当な人物がいなかったからそうなっただけで、それ以外は基本的に世襲されています。世襲される最高支配者は「実質は大統領だった」とは言えないと思う。
 さらに、ローマ帝国の皇帝は、悪帝(カリグラとかネロとか)でない限り、これも基本的に死後は神格化されました。在任中に「自分は神だ」と言い出した皇帝も、比較的初期から複数います。ローマ帝国の皇帝は、「市民の第一人者」だった時代からわりと「神」に近い性格も持っていたのです。死後に神格化されたり、在任中に「自分は神なので崇拝するように」と言い出したりする存在を「実質は大統領だった」とは言えないと思います。
 現代の大統領やその他の国家最高指導者で、任期が終身だったり、世襲されたり、崇拝されたりする大統領(などの最高指導者)はいるけれど、それはそういう大統領が「名は近代民主国家の大統領だけど、実質は皇帝や王などの昔の最高支配者と同じ」なのです。まあ、「ローマ帝国の皇帝は実質は大統領だった」というときに、アメリカ合衆国フランス共和国の大統領ではなく、どことは言わないけど、形だけ民主主義の独裁国家の大統領と同じだったと主張するのならば、それでもいいけど――でも、それはやっぱり(初代)アウグストゥスとか「哲人皇帝」マルクス・アウレリウスとかにとってはいい迷惑じゃないか?
 だから、「中国の皇帝とは全然違う」(「かなり違う」のは確かだけど)とか「実質は大統領だった」と言い切ってしまうのもローマ帝国の皇帝の理解としてはあまり適切でないと思います。