猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

帝国が大きくなりすぎたから?

 どうしてそうなってしまったのか?
 「帝国が大きくなりすぎたから」というのがとりあえずの答えなのでしょう。
 五賢帝の3人めにあたるハドリアヌス帝は、その治世のあいだ、帝国内の各地を頻繁にめぐって過ごしました。また、五賢帝の最後のマルクス・アウレリウス帝は、その治世の終わりのほうでは、現在のハンガリーのあたりまで出て行って、そこで自ら「蛮族」との戦いを指揮しつづけなければなりませんでした。マルクス・アウレリウス帝は「哲人皇帝」として有名ですが、その生涯の少なくとも終わりのほうは「武人皇帝」として生きた。そう生きざるを得なかったのです。
 そういうことになったのは、ハドリアヌス帝が旅行好きだったからとか、マルクス・アウレリウス帝のときにたまたま「蛮族」が「侵入」してきたからとかいうだけの理由ではない。
 ――いや、もしかすると「たまたま」なのかも知れないけどさ。ハドリアヌスは「賢帝」の一人でありながらわりと乱暴なことをやっているし、詩人に「ホコリまみれになりながら帝国の隅々をめぐる皇帝になんかなりたくない」とからかわれて「ホコリまみれになりながら酒場の隅で酔いつぶれている詩人にはなりたくない」と言い返した(かなり簡略化しています)ような人だから、かなり「個性的」な、変わった人だったと思うし、マルクス帝も奥さん(ファウスティーナという名まえだったと思う)とあんまり関係よくなかったらしいから、ローマにいるよりは外に出ていたかったのかも知れないし。
 人間ってわりと偶然とか気まぐれとかで動くものだし、偶然や気まぐれ以上に個人的事情で動くものだし、それが歴史の大きな流れに影響したりする。それを、「運命のいたずら」のように捉えるか、その人の個性として捉えるか、それとも「本人は偶然や気まぐれや個人的事情で動いていたとしても、それには何かの必然があったのだ」と捉えるかで、歴史の見かたは変わってきますよね。
 で、ここでは、偶然や気まぐれや個人的事情ではなくて、何かの「必然」とか「必要」とかがあったと考えてみようということです。つまり、皇帝が都市ローマにいてその領域を支配しているだけでは不十分で、その領域のあちこちに皇帝が自分で出向かないと帝国を一つにまとめていられなくなったのではないかと考えるわけです。
 それでも、五賢帝時代は、皇帝が一人であっちに行ったりこっちに行ったりしていればまだその広い領域をまとめていられた。その時代が過ぎ去ってそのまとまりが綻びてしまったということではないかと思います。