猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

貨幣で溜めても人間が一生に使える財産には限界がある?

 以前、最初にロックのこの議論を読んだときには「わ〜、むちゃくちゃ言ってるよこの人!」と思いました。
 貨幣で溜めた財産であっても、人間が「生き延びる」ために一生に使う財産には限りがあるはずで、それを超えて財産を溜めこむのを認めるのは、それまでの議論と矛盾するのではないか。たとえば、一年の生活に必要なのはどれだけかを計算して、予想もしない出費とかを余裕として見こんで、それの100年分ぐらいが、たとえ貨幣で持っていたとしても「生き延びるために必要」の上限として計算できるのではないか。それ以上に持ったら、それはやはり「腐らせる」のと同じことだろう。貨幣は腐らないとしても、「むだに貨幣を持っている」、貨幣を意味なく「退蔵している」ことになるだろう。それは、「人間が生き延びるために必要な自分の固有のもの(=財産)」とはいえないのではないか。
 でも、ロックはそう考えないのです。貨幣で持つのならばいくら持っても「腐る」という決定的な「ダメになり方」をしないので、いいと言う。
 「貨幣だって錆びるやん」――と言おうと思って私は気づきました。ヨーロッパの「貨幣」は金貨か銀貨です。金貨は錆びないし、銀貨もほとんど錆びない。中国とか日本とかでは近代になるまで銅銭を使ってきました。銅銭は管理がよくないと錆びる。10円玉でも下手をすれば緑青が吹きます。でも銅銭を知らないロックは「貨幣が錆びる」ということに現実感は持てなかったかも知れない。
 その後、私は、「耕しきれないほどの土地を持つことは許されていないけれど、貨幣でならばいくら財産を持ってもいい」という論理は、「土地持ち貴族」はだめだけれど「金持ち商工業者」はいいのだという論理だと解釈しました。だから、ロックは、古い土地持ち貴族に反対し、新しい商工業者を支持した。もっと単純にいうと、ロックは「封建制」に反対して「資本主義」を支持したと解釈するようになりました。
 この新訳の解説によると、ロックを「重商主義の理論家」と読む読みかたもあるそうですから、こういう見かたもまちがいではないようです(ただし「ロックは大土地所有は絶対にダメと言っている」と解釈するとすればまちがいです)。また、「カネ儲けはいくらやってもいいと神様が認めているのだ」と読めば、リバタリアン的な経済論を支持する議論にも読めます。
 でも、ここでは、もう少しロックの論理そのものにこだわって話をしてみたいと思います。なお、今回の話は、一部、前に書いたネタと重なるところがあります。