猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

なぜ「一人の支配」でなければならないか?

 もう一つ、ここで問題になるのは、領域が広くなると、「絶対的な権威を持つ一人の支配」、つまり「専制王制」でなければうまくいかないと考えられていることです。これは18世紀ごろまでは西ヨーロッパでは常識だったらしい。ルソーもそういうことを書いています。だから、アメリカ合衆国が「広い領域を支配する共和国」として出発したことが、当時の西ヨーロッパの政治思想家にはびっくりするようなできごとだったのです。
 なぜそうなのか?
 逆ではないか? 治めなければいけない人数が多いのだったら、治めるほうも人数を増やして、たくさんの人間で治めるのが効率的ではないか? また、治める地域が広いのなら、治めるほうも人数を増やして、大人数で地域を分担したほうがいいのではないか?
 この問いは、いろいろ考えてひねくり回してみたのだけれど、よくわかりません。
 ただ、一つ言えるのは、こういう大きい国では「支配に携わる人」と「支配の最高権威を担う人」は違うということです。
 国が大きく、国民の数が多く、国民のあいだの公共意識や自治意識が低ければ、「支配に携わる人」(官僚とか軍人とか)の数は多くなければいけないでしょう。しかし、その「支配に携わる人」がただ多いだけでは、国はうまく治まらない。たくさんの「支配に携わる人」たちが、何のよりどころもなくばらぱらに行動すれば国は混乱してしまう。まして、「支配に携わる人」たちのなかから野心家が出現して、自分の受け持ちの地域で自立して「自分の国」を作ってしまうとやっかいなことになります。
 そこで、こんどは、その「支配に携わる人」をコントロールする仕組みが必要になる。「大きくて広い国を支配するには、支配者は一人でなければならない」というときの「支配者」とは、「支配に携わる人」たちをさらにその上からコントロールする人のことなのでしょう。それも、具体的な役割の担い手というよりも、「支配に携わる人」たちを恐れ入らせてしまうような権威の担い手という意味なのだと思います。それだと、「支配に携わる人」たち、つまり官僚たちや軍人たちよりも人数はずっと少ないはずです。