猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

ほんとにそうなのか? または 集合住宅の近隣関係

 でも、実感としては「そぉかぁ〜?!」と思ってみたり。
 私の経験では必ずしもそうではありません。大きいマンションで管理組合がちゃんと機能しているかと思えば、小さいアパートでもいちいち大家さんに言って注意してもらわないと小さい問題も解決しないという例もあるわけです。私は小さいアパートに住んでいたこともあるし、やや大きめの集合住宅に住んだこともある。私個人の経験からいうと、小さいアパートのほうが住人どうしの「共同意識」もなかったし、自主的な解決能力も小さかった。近くの部屋の人と廊下で顔合わせてもぷいっと横を向いてしまう人が多かった。それで、そのあとちょっと大きめの集合住宅に越すと、ここではエレベーターに乗り合わせた別の階の人とでもあいさつを交わすことも多かった。もちろん知らんぷりの人のほうが多かったけどね。だから、実際には「小さい地域の小さい共同体だから共同意識・公共意識=コモンウェルス意識が強い」とは言えないのではないかと思う。
 社会契約論の論者たちは、古典時代のギリシアの都市世界を理想と考え、逆に、自分の「政治」への理想を古典時代のギリシアの都市世界に投影して考える傾向があります。だから、「都市的な共同体」には「共同意識」もあり、自主的(都市ならば自治的)な問題解決ができていたと考えるわけです。
 前に書いたように、現実の古典時代のギリシアの都市社会が、社会契約論の論者たちが考えていたような社会だったかというと、だいぶ違うように思う。古典時代のギリシアの都市社会も、その都市の神様の祭りを中心に集まった共同体という性格を持っていました。古典時代のアテネだと知恵の神様アテナの祭りが中心でしたし、都市ローマでは、たとえば都市の門の守護神として「二つの顔を持つ神」ヤヌスが祀られていました。古典時代のギリシアの都市も共和制の都市ローマも「神様の権威で治まる国」という一面は持っていたのです。