猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

人間が生き延びるためにこの世界が造られた

 さて、ここまでのところは、人間は生き延びるべきであり、しかし悪いやつは殺されてもしかたがないという議論で、それほど独特な感じもしない。
 ロックで独特なのは、この世界は、人間が「生き延びる」ための「資源」として神様から人間に与えられているという考えかたです。
 だから、人間は、自分が「生き延びる」ためにこの世界にあるものを使っていい。木の実や菜っ葉や穀物をつまんで食べてもいい。動物を殺して焼いて食ってもいい。木を伐り倒して家を造ってもいいし、薪を燃やして寒さから身を守ってもいい。動物の毛皮や植物の繊維で衣服を作ってもいい。
 ただし――とこの先に限定がつきます。
 人間が世界の資源を利用できるのは、「生き延びる」という義務を果たすためにのみであって、それ以上は使ってはいけないのです。つまり、資源を「利用」はしてもいい。むしろ資源を「利用」して生き延びるのが人間の義務です。しかし「浪費」することは神様から固く禁じられている。
 たとえば、穀物をたくさん刈り取って貯蔵しておいて、自分や家族がいつか食べるのならばいい。一年先でも二年先でも、ともかく食べるとかして人間が「生き延びる」のに役に立つならばいい。けれども、たくさん貯蔵しておいて、食べもしないでそのまま腐らせてしまってはいけない。動物の肉も燻製や塩漬けにして保存するのはいい。大きい動物を殺してみんなで食べるのもいい。でも腐らせてはいけない。「腐らせてはいけない」、「腐るほど集めてはいけない」というのがロックの原則です。
 また、その延長として、自分が生き延びるために必要な作物や獲物を獲得するための土地は独り占めしてもかまわない。けれども、自分一人(自分の家族だけ)では耕しきれないほどの土地を持ったり、耕し切れたとしても収穫物が余って腐ってしまうほどの広い土地を持ったりしてはいけないということにもなります。
 人間は、「生き延びる」ために、「生き延びるために必要なもの」を一人ひとりに与えられている。それはその人の「固有のもの」とされます。その「固有のもの」は世界から取ってきて自分のものにしてかまわない。命そのものもその人に「固有のもの」の一つとロックは考えます。この「その人が生き延びるために必要な「固有のもの」」がロックにとっての「財産 property 」なのです。
 なお、今回の加藤節訳では、 property を「財産」・「財産権」・「所有権」などと訳すると、ロックが人間の身体や命そのものまで含めて使った幅広い意味が消えてしまうということで、明らかに「所有権」を指すばあいを除いて「プロパティ」とカタカナ書きしています。でも、まあ、なんか保険会社の宣伝めくけれども、「命も健康も人間にとってかけがえのない財産だ」ということにして、「財産」と訳しておいてもいいのではないかと思います。