猫も歩けば...

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クォークはなぜクォークなのか?

 もう一つ、「クォーク」がなぜ「クォーク」なのかという理由も、この本でようやくわかったことの一つです。
 クォークというのは、陽子とか中性子とかいう、原子核を構成している「粒子」をさらに構成している基本粒子のことです。普通には「アップ」と「ダウン」があって、「アップ」二つと「ダウン」一つだと陽子、「アップ」一つと「ダウン」二つだと中性子になる(ここの記述、9月15日の午後まで間違ってました。申しわけありません)。陽子のほうがちょっと上向きな感じ、で、中性子はちょっとダウナーな感じ、というわけです。
 この「アップ」と「ダウン」の呼び名も、スピン(粒子として見たときの自転)の向きから決めた名まえだと前に読んだような気がするんだけど、よくわからない。だとすると、「アップ」は左回り(ねじを左に回したら上向きに浮いてくるから)、「ダウン」は右回り(ねじを右に回したら下向きに入って行くから)しかないわけ? 自転の「上」、「下」の定義もこれでよかったと思うけど……逆だったかも知れない。よくわからない。
 ともかく、陽子とか中性子とかはクォーク三つでできている。
 そして、当時は、クォークには、「アップ」と「ダウン」のほかに「ストレンジ」というのがあることがわかっていました。陽子とか中性子とかはクォーク三つでできていて、しかもクォークには三つの種類がある(現在では6種類あることがわかっています)。
 で、この「クォーク」という名が、ジェームズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』に出てくるカモメか何かの鳴き声にちなむということはずいぶん前から知っていました。
 朝永振一郎といっしょにノーベル賞を受賞したファインマンがこの「クォーク」という名を嫌って、「パルトン(パートン)」=「部分子」という名を提案したという話もあったり。
 でも、私には、なんで、よりにもよって『フィネガンズ・ウェイク』なの?――という疑問はありました。
 じつは最初は「そんなものか」と思っていたのですが、ジョイスの作風というのをあとで知って、「たしか「クォーク」ってこの人の作品から採ったんだよなぁ? なぜ?」と大きく疑問になってきたわけです。
 だって、『フィネガンズ・ウェイク』といえば、『広辞苑』にも「難解な前衛文学」と書いてあるくらいの、すごいわけのわからない作品です。というより、だということです。読んだことないから。
 だから、とても単に「そのとき読んでいた小説からつけた名まえ」という軽いものとは思えない。
 で、この佐藤さんの『破られた対称性』を読んで、やっとその謎が解けました。まあ、それでも「なんでよりによってジョイス?」という謎は解けないですけどね。
 それによると、『フィネガンズ・ウェイク』では、「マスター・マークに三つのクォークを」というふうに出てくるらしい。ここの「クォーク」は、カモメの鳴き声であるとともに、 quarts =一杯の酒ということばにかけてあるわけで、「マークの旦那に酒を三杯」というところを、飲んでも何にもならない、というより最初から飲めないカモメの声にして「マークの旦那にくわぁ(クォーク)を三杯」(これ、ジョイスの訳には一家言ある柳瀬尚紀さんはどう訳しているのだろう?)と言っているわけですね。
 それで、この quarts というのは Quatrequarts(カトルカール) の quarts だったりもするわけで、Quatrequartsasin:B002KJG9L8) とは何かというとこことか読んでください。ちなみに『夜想サァカス』(asin:B003C2TJNW)はここここです。以上、宣伝でした。
 つまり「三つのクォーク」なので、「陽子に三つ、中性子に三つ、粒子の種類自体も三つ」という、何かと「3」に縁のあるこの粒子に「クォーク」という名まえをつけた、ということなんだそうです。
 このあたり、古典ギリシア語を操れることを「教養」と考え、「クォーク」などという怪しげな名まえを蹴ろうとしたファインマンと、ジョイスの前衛文学からわざと謎めいた名まえを持って来たゲルマン(クォーク説の提唱者)との「教養」の違いが感じられるようで、興味深かったりもします。