猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

「何もない」は言えない場を相手にする学問

 「何もないことになっている真空のなかにあるかも知れないもの」として考えられるものを並べてきました。専門家じゃないひとが考えつくことと言ったら、これぐらいじゃないかな――といまの私は思っています。
 「真空」というのを突き詰めて「ほんとうに何もないのか」と言ってしまうと「こういうのもあるかも知れないじゃないか」というのが出てきてしまう。
 私たちが「真空」というばあい、それは普通は「空気がない(空気以外の気体もない)」のが真空であって、そこに光が射していようが電波が飛んでいようが真空は真空です。
 しかし、「真空」を、「空気とかガスとかが存在しない」だけではなくて、「どんな粒子も存在しない」というところまでやってしまうと、「そんなものあるのか?」ということになってしまうわけですね。
 「どんな粒子も」と言ったとたん、「どんな粒子もない真空」を考えるのが難しくなってしまう。これはじつは私たちには馴染み深いことではないかと思います。
 何かの仕事に「ミスはないか」と思って点検しても、「どんなミスも絶対にない」とは言い切れない。点検に絶対の見落としがなかったとしても、点検するときには「こういうミスが起こることがある」というのをあらかじめ想定して点検しているわけで、言えることは「想定したミスは一つもない」というところまでです。それでも想定していないミスというのが起こることがある。「ミスは絶対にない」とは言い切れない。それに似ています。
 でも、「どんな粒子もない真空」がないというのは、考えるときにはとても不安なことです。何かの粒子が存在するというとき、「真空状態と較べてこんな粒子が存在する」と言えればそれはだれにとってもたしかな事実と言えるけれど、「でも、その真空にだってどんな粒子があるかわからないよ」、「見方によってはあなたのいう真空にはこんな粒子がいっぱい存在していることになるよ」と言われると、なんか話をするのがすごいやっかいそうです。
 でも、そんな状態を相手にするのが素粒子物理学というわけで。
 う〜ん、やっぱり難しそうですね。