猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

なぜ「数学には一つの答えしかない」のか?

 だいたい「数学には一つしか答えがない」ということ自体が、イデオロギーか、思いこみか、ものを考えるときの労力の省略法か、生徒を混乱させず、かつ怠けさせないためのお説教に過ぎない。「1+1=2」で止めておいたほうが話がごちゃごちゃせずにすむのであって、「だって二進法だったら 1+1=10 じゃん?」とかいちいち考えているとめんどくさい。「32÷2=19」とか答えた生徒に対して「ではどんな場合にそれが正解になるか考えてみなさい」と犀川助教授のような質問をするより(するかな、犀川先生なら……?)、「それ、9じゃなくて6のまちがいでしょ?」と指摘するほうが、数学の授業は混乱せずにすみます。
 だから、イデオロギーも思いこみもある場合には有用だろうし、ものを考える労力を省略すること、生徒を先生の設定した「正解」に導くことも必要なことでしょう。それを否定するつもりはありません。ただ「数学には一つしか答えがない」ということを絶対化してはいけないということです。
 たとえば、平行線は交わらないことになっているわけですが、平行線を描いてある紙を傾けて見れば、そうとは限らない。平行線は地平線のところで一点に集まる。それがパースの作画の基本だったりするわけです。三点パースとかになるとすごい描きにくいですが、それよりキャラの身体のバランスがちゃんと描けるようにならないと……ってそんなことはどうでもよくて。
 つまり数学の答えだって視点や目的が変われば変わるわけです。だから数学にとって重要なことは、「世界で唯一の正解」にたどり着くことではない。同じ体系でできるだけ多くのことを矛盾なく説明できることです。1+1=2であれば、 100+100=200 だし、 0.01+0.01=0.02 だと判断して、それで通用すればそれでいい。しかし通用しないこともある。
 秒速3メートルで歩いてる(時速10.8キロ。かなり早歩きです)Aさんのところに、真向こうからやはり秒速3メートルでBさんが歩いてきたら、Aさんから見たBさんの速さは 3+3=6 で秒速6メートルです。ここでは「3+3=6」の数学が通用する。もっともほんとに正面から歩いてきたら秒速6メートルでぶつかってけっこう危ないから早めに避けたほうがいろいろいいと思うけど。
 しかし秒速30万キロメートルで飛んでいる粒子Aに(時速10億8千万キロメートル。粒子はあんまり時速換算はしないけど)、正面から秒速30万キロメートルで粒子Bが飛んできたら、粒子Aから見た粒子Bの速度は秒速30万キロです。60万キロにならない。ここでは「30万+30万=60万」の数学が通用しない。で、じゃあどうやればいいのかというので、いまローレンツ変換の式を解こうとしたんだけど。
 挫折しました。ごめん。やっぱり数学の道は険しいです。しかもローレンツ変換はルートとか2乗とか割り算とかで、行列式みたいな「高等数学」は出てこないのに。
 でも、実験用加速器の中ってだいたいこの秒速30万キロぐらいの速さ(光速の99パーセント以上)で粒子が回ったりしてるわけで、加速器一周が30キロだったとして、一つの点を一秒に一万回も粒子が通り過ぎるわけ? 通り過ぎるだけならまだいいけど、その速さと軌道をコントロールしてるわけでしょ、加速器とか加速器使いの人たちって。それはすごい技術だと思ってしまいます。しかも、計画した場所で、計画した速さで、それをほかの粒子とぶつけたりするわけでしょ? いや、なんかすごい神業な感じがしますよ。
 ともかく、観測された事実が計算とずれてしまったとき、では、この事実に対してはどんな計算が適切なんだろうと考え、検証するのも、数学にとって必要なことです。
 また、絵を描くときにより役に立つのは、「平行線は交わらない」という「法則(定義)」よりも「平行線は地平線で(無限遠点で)交わる」という「法則」のほうです。いや、それは絵を描くときにも平行線はちゃんと引けたほうがいいけどね……もちろん。
 で、理論物理学が相手にしている素粒子レベルでは、そういう「普通の数学」の「法則」では解けないことがいろいろと出てくる。「普通の数学」とは違っていても、素粒子の動きをできるだけ統一的に説明できる「数学」でないといけない。そこで、理論物理学には、通り一遍数学を習っただけの人にはよくわからない「数学」がいろいろと出てくるわけです。
 この本では、それを、紙幅の許すかぎり、飛ばさないでていねいに説明している。それがわかりにくさの一つの理由だと思います。