猫も歩けば...

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「イギリス王」はフランスの諸侯だった

 そんなわけで、アンジュー伯とかノルマンディー公とかアキテーヌ公とかいうフランスの諸侯(大名)を兼任しているイギリス王の支配するイギリス(この時代はイングランドのみ)と、フランス王のフランスの戦いが百年戦争――ということになるわけですが、これがじつはまったく違う、というのが著者の主張です。
 ノルマンディー公ウィリアムのウィリアム1世にしたって、プランタジネット朝初代のヘンリー2世にしたって、「イギリス人」ではない。
 それはそうで、ノルマンディー公ウィリアムは「ノルマン人」の征服者じゃないか。で、そのノルマン人というのは、いまのスカンディナヴィア半島あたりの出身で、いわゆる「ヴァイキング」じゃないか――というと、それはまちがいではないのだけど、それがすべてではない。ウィリアムの領地のノルマンディーというのは、第二次大戦の「ノルマンディー上陸作戦」の舞台(戦場。英語ではどっちも theatre)となったことからわかるとおり、フランスの一部です。ウィリアムは5代まえのご先祖様のロロからここの支配者で、話していることばも基本的にはフランス語です。そんなことで、ウィリアムはスカンディナヴィア人というよりははるかにフランス人だった。ましてプランタジネット家はもともとフランスの諸侯です。
 「ノルマンの征服」というと、ヴァイキングのノルマン人が荒々しい武力で襲いかかってきたのだから負けてもしかたがない、という感じがする。しかし、フランスの、しかも王の臣下の諸侯に征服されたとあっては、イギリスとしてはあまり名誉な話ではない。「ノルマンディー公による征服」ではなく端的に「ノルマンの征服」と呼ぶことには、そういう国の名誉意識も関係しているのかも知れません。
 つまり、ノルマン朝にしてもプランタジネット朝にしても、その王は、「フランスの諸侯がイギリスにも領地を持ち、イギリス王を兼ねている」というほうが実態だった――と著者は主張します。プランタジネット朝時代にはイギリス王が文字通りイギリス(イングランド)しか領地を持たなかった時代もあるけれど、それは、フランスの諸侯が、本国の領土を失ったので、島国の領地に仮住まいしている状況で、けっして「イギリスの支配者」を本業にしようとした結果ではない。
 だから、「イギリス王ウィリアム1世がノルマンディー公を兼ねていた」とか「イギリス王ヘンリー2世がアンジュー伯を兼ねていた」という言いかたよりも、「ノルマンディー公ギヨーム(英語でウィリアム)がイギリス王も兼ねていた」とか「アンジュー伯アンリ(英語でヘンリー)がイギリス王も兼ねていた」とか言うほうが、当時の実態にも、当事者の意識にもずっと近いというわけです。