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「イギリス史」と「フランス史」からの百年戦争

 まず、普通に理解されている「イギリス史」と「フランス史」で、百年戦争の概略を説明すると――。
 イギリス(イングランド)王がフランスに領土を持つことになったきっかけは、1066年の「ノルマンの征服(ノルマン・コンクェスト)」だった。イギリスを征服したノルマンディー公ウィリアムは、イギリス王でありながら、ノルマンディー公としてフランスのノルマンディーの領主でもあったからです。このウィリアム(1世)の王朝は、やがて、ウィリアムの孫娘を介して、フランスのアンジュー伯家に受け継がれる。これがプランタジネット朝で、この時期にも、イギリス王はフランスのアンジュー伯を兼ねており、したがってフランスにも領土を持っていた。百年戦争を戦うのはこのプランタジネット朝です。戦争の途中で、プランタジネット家の分家のランカスター公家が本家から王位を奪うので王朝の名まえが「ランカスター朝」にかわりますが、ひと続きの王家です。
 ちなみにこの時代のヨーロッパの王家や貴族の家は一般的に女系継承が認められていますので(認めないところもあるけど)、女系継承がはさまると王家の名まえが変わったりします。ウィリアム1世の王朝をノルマン朝といい、その次の王朝がプランタジネット朝ですが、これは途中に女系継承をはさんでいるためです。また、王の家系が分家に移るとやはり王朝の名まえが変わることがあります。プランタジネット朝の王家と、その次のランカスター朝ヨーク朝の王家とは、本家と分家の関係にあります。だから、王朝の名まえは変わっても血筋は続いている。そういう関係がずっと続いていて、現在のイギリス王家もノルマン朝ウィリアム1世の血筋を引いていますし、それどころか、そのウィリアムに敗れたアングロ‐サクソン系の王家の血筋も引いています。
 このイギリスのノルマン朝プランタジネット朝の時代のフランス王家はカペー家です。ところがこのカペー家の本家が断絶する。このときのイギリス王エドワード3世が女系ではカペー家本家の直系の子孫だった。対立候補のフランスのヴァロワ家のフィリップ(後に王になって6世)は、男系ではあるけれど、カペー家本家からはイギリス王家以上に血筋が離れている。このエドワード3世とフィリップ6世の王位の争奪が百年戦争の一つの直接の原因になります。
 フランスでは、このときエドワードの継承を排除するためにフランス王位の女系継承を否定し、1848年の革命でフランスの王制が終わるまでフランス王家は男系継承が続きます。そのため、カペー朝ヴァロワ朝ブルボン朝オルレアン朝七月王政)と王朝の名まえは変わっても、それぞれ本家から分家に王位が移っただけで、王家が変わってもカペー家の男系子孫であるという点は変わらない(ただしボナパルト家=ナポレオンの家系は別)。フランスではいまでも王家自体は続いているはずで、やっぱり男系継承なんだろうな……と思ってウィキペディアを調べてみると、そうだった。便利な時代になったものです。