猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

「ギリシア」像の偏り

 私が世界史でギリシアについて習った内容を思い出してみると、そのほとんどが「古典古代」のギリシアについてでした。ペルシア戦争アテネアテナイ)の繁栄、ペロポンネソス戦争、そしてアレクサンドロス大王の東方遠征といった話題です。アレクサンドロスの東方遠征の後は、ヘレニズム時代になってギリシア文明が広い地域に拡散していきました、で終わり、ローマの話が始まる。ローマの話のなかではギリシアはほんの小さな脇役です。東ローマ〜ビザンティン(ビザンツ)帝国についてはあまり触れられないし、しかも、それが「ギリシア国家」の性格を持っていたことはほとんど強調されなかったと思います。次は近代に入ってギリシア独立の話、そのあとは冷戦開始期のギリシアの話が少し出てくる程度ではないでしょうか。
 つまり、ほぼいまのギリシア共和国の領域の範囲での、華やかな古典文化の時代が、「世界史」で紹介される「ギリシア」の大きい範囲を占めているわけです。これは、べつに日本の高校の科目としての「世界史」の問題というわけではなく、近代ヨーロッパにとってのギリシアというのがそういうものだった、ということでしょう。
 しかし、実際の「ギリシア」というのはその範囲にとどまらないわけで、たとえば『新約聖書』はもともとギリシア語で書かれたものですし、(これは高校世界史に出てきたと思うけど)中央アジアガンダーラで仏像というのを作り始めたのも、ギリシア人か、少なくともギリシア文化の影響を受けた人たちとされています(いや〜。ゴダイゴの「ガンダーラ」懐かしいです。いま歌詞を思い出してみるとだいたい言えた。日本語版・英語版両方とも)。西アジアの南や西のほうにギリシア文化は大きい影響を与えている。また、この本にはあまり出てこないけれど、古い時代のイタリアや西地中海にも、ギリシア人とギリシア文化は大きな影響を与えています。
 私たちは、そういう「開かれたギリシア」の面をあまり知らず、「ギリシア本土」の「閉じたギリシア」の文化ばかりを「ギリシア」だと思っている。もちろん、近代ヨーロッパが「近代」という時代を自覚しはじめるとき、「閉じたギリシア」の古典文化を「お手本」とし、それを尊重したことには必然性はあったのだろうと思います。キリスト教的な文化の全面的な支配を排除して、理性的・合理的な近代文化を築こうとするときに、ユダヤ教キリスト教などまで含みこんでしまうような「開かれたギリシア」の包容力は、もしかするとじゃまになったのかも知れません。また、ただ単純に、そのときに系統的に読まれ利用されたのがプラトンアリストテレスという「閉じたギリシア」の思想家だった、ということなのかも知れません。