猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

ベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」Op.125

 というわけで、新年に入ってから「第九」を聴いているというのも、ひねくれているというか、間が抜けているというか……。でも、私のばあい、「年末」ってコミケが終わってから始まるので、第九を聴いたりしているひまがないんだよね。
 どうせ聴くのだったらということで、フルトヴェングラー指揮/バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団のモノラル盤を引っぱり出してきて聴いた。この曲の第三楽章は、合唱の入る第四楽章の前ということもあって、じつはこれまであまり印象に残っていなかったのだけど、あらためて聴いてみると、美しいし、精巧に織り上げられているような感じがする。優美に始まってしだいに力強さを溜めこんで最終楽章につなげる構成は、ブルックナー交響曲第八番の第三楽章の位置づけに似ている気がするが……ブルックナーのことはよく知らないけど、たぶん偶然ではないのだろう。
 で、続く第四楽章の冒頭は、「これまでの楽章の主題をコントラバスでつぎつぎに否定し……」という説明を読んだことがあるのだけれど、聴いていると「これって否定なのかな?」と思ってしまう。歌の最初にベートーヴェンがわざわざくっつけた「このような調べではなく」という歌詞に引っぱられすぎた解釈なのではないか? まあ根拠はないのだけど、そこまで出てきた主題を同じ旋律で取りこもうとして、取りこみきれない形のまま置いておいたのではないかという感じもする。とくに第三楽章の主題については、荒々しく否定するのではなくて、コントラバスの旋律が受け継いで続くと聴いてもいいんじゃないかと思う。それに、もし「否定」だとすると、なんで「歓喜」の前にこれまで積み重ねてきたものを「否定」しないといけないか、わからないんだよね。まあ、前三楽章が「序曲」としての「シンフォニー」で、ここからが「コラール」(合唱)*1の前奏だと考えれば、その質的転換・時間の性格転換を強調するために、ってことになるのかも知れないけど。

*1:Choralの発音って「コーラル」なのかな、「コラール」なのかな? どっちにしてもここでは誤爆するんだけど……