酒をたたえる歌
『万葉集』巻三に太宰帥大伴卿(大伴旅人だっけ?)の「酒を
というのがあった。ふ〜む。奈良時代から「酒を飲まないひとはまじめ」という観念があって、酒好きはその「酒を飲まない」というひとを、偽善ぶったサルのようだと思っていたのだな。
あな醜 賢 しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む(344)
私は酒が必ずしも嫌いではないけど、ほとんど飲めないと言っていいほど弱い(そのくせにワインの同人誌を作ったりしたけど)。したがって「酒を飲めるのがあたりまえ」という感じで酒を勧めてくるひとは苦手だ。でも、酒好きのひとには、「飲めない」というのはなかなか理解できないんだろうと思う。
それにしても、そうですか、猿っすか……。
この少し前に
とある。中国の三国時代の「竹林の七賢」の話はこの時代の日本にすでに伝わっていたのだということがここからわかる。また、竹林の七賢は、ただの隠者ではなく、当時の魏の政治の主流から疎外されたり、自ら距離を置こうとしたりした人たちで、政治に関心を持つ非主流派という性格があった。それを考えると、旅人‐家持時代の大伴氏も「政治に関心を持つ非主流派」の立場にいたわけで、旅人は自分の拠りどころとして竹林の七賢の「清議」を位置づけていたのかも知れない。だから、これはただの「酒飲みが酒を讃えた歌」ではなく、政治に対するスタンスを表明した連作歌なのかも知れない。
いにしへの七の賢 しき人どもも欲 せりしものは酒にしあるらし(340)
奈良時代の太宰府というとわりとホットな場所で、一方では北の新羅との関係が緊張していたし、また、太宰府を拠点として藤原広嗣の乱が起こったりしている。そういう場所に身を置いた旅人が何を考えていたか――けっして酒に逃げただけではないと思うのだ。