猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

『黄昏の大地』第二巻「白雷鳥の少女」

 花巻市のしんろう会館で22日(日)に開催されるTRIP?Secretに「アトリエそねっと」で参加します。よろしくお願いします。
 TRIP?Secret:http://nt.sakura.ne.jp/~rrr/nt/
 それで、先日、『黄昏の大地』の第二巻を入稿しました。順調に行けばTRIPでの新刊として販売することができると思います。本ができあがるのがイベント前日なので、私が荷物の受け取りに失敗したりすると「またの機会」になってしまいますが……そういうことのないようにがんばります。仕事のない土曜日の午前中の配達指定にしていただいたので、寝過ごして昼まで寝ているなどということがなければだいじょうぶだと思うけれど。
 内容は地味なファンタジー小説です。自分で「地味」というのも何かへんな気がしますが、でも、やっぱり地味です(汗)。魔法は出てくるけれど、派手な魔法でもないし、冒険を続けることで世界の真実が明らかになる気配も今のところぜんぜんない。乱れきった社会と腐敗して無能を露呈した政治の下で、あやしげな儲け話に飛びついて旅をする武芸者の女の人のお話です。一冊300ページの本で、第二巻まで刊行していまだに「取っ掛かり」のところをうろうろしています。そういうお話ですが、お手にとっていただければ嬉しいですし、気長につきあってくださるともっと幸いです。
 この本は、このデジタル時代に反射原稿(紙の原稿)での入稿、しかも、表紙の絵は、コピーしたものを、物理的に、つまりハサミとのりで切り貼りして作りました。画像ソフトでのレイヤーの重ねかたとかを尊敬する友人たち何人もにきいて、やってみたのだけれど、輪郭線の自動抽出とかがうまく行かないんですね。締切まで時間もないし、ドット単位でよけいな部分を消すぐらいならばハサミで切ったほうが早いと、けっきょくローテクに賭けてしまいました。だからいつまで経っても自分のなかにデジタルのノウハウが蓄積しないのですね。次は、FTP入稿できるかどうか、時間に余裕があるときに試してみよう。
 また、私自身は、文庫本は一ページ16行が限界という考えを持っていて、一ページが17行の文庫本を見ると「なんか字が詰んで読みにくいな」と感じるのですけど、この本では自らその原則を破って一ページに19行を収めています。同人誌だと分厚さに限界があり、ページを増やすと費用もかかるので、自分が読者のときの原則を枉げたわけです。でもその範囲内でできるだけ読みやすくはしたつもりです。また、ノドに近いほうの読みにくさを低減するために、第二巻では、本文の割り付けをページの外側に寄せてみました。
 それと、今回はうるさいぐらいにふりがなを振りました。いちおう「中学生でも読めるように」が目標だったのですが、ところどころ不注意で難しい漢字のふりがなが抜けていたりします。
 しかしふりがなを振って気がついたこともいろいろとあります。たとえば「牧場」という字を「ぼくじょう」と読むか「まきば」と読むかで、どちらに読むかを決めなければならない。でも、書いたときには、どちらかの読みかたを意識して書いたところもあれば、「どっちでもいい」と思って書いたところもある。また、「麻疹」も「ましん」でも「はしか」でもどちらでも好きなように読めばいいと思って書いたけれど、これも決めなければならない。ふりがな振りの作業をして、日本語を書くとき、漢字語は「どちらでもいい」と思って書いている、また、読むときも漢字語は「どちらでも読める」と思って黙読していることがあるのに気づきました。ワープロ時代になってからの現象かというと、たぶんそれは逆で、ともかくも読み仮名から入力しなければならない現在よりも、漢字を直接書けばよかった手書きの時代のほうがその傾向は強かっただろうと思います。
 それを、日本語のあいまいさだとか、漢字が入ってきたことで日本語が「不純」になったとか捉えることもできると思いますが、私はその「あいまいさ」や「不純さ」を肯定的に捉えたいと思っています。「まきば」と「ぼくじょう」は、意味はほとんど同じでも、読者がそのことばに接して呼び起こす感覚はたぶん少し違っていると思う。そのどちらかの感覚を呼び起こすよう作者が指定するのが親切なのか、読者の自由に任せるのが親切なのか――日本語の「漢字かな交じり文」は、そこで「読者の自由に任せる」という選択に余地を残していると思うのですね。これは世界の(現在使われている)言語のなかでも希有な特徴だと思います。
 ふりがなを振るとその特徴を捨ててしまうことになる。でも、「漢字で書いてふりがなを振る」という表記法ができるという点も、日本語の表記のすぐれた特徴だと私は思いますよ。
 あと、「当て字読み」ができるのも漢字の優れたところだと思います。今回は「手帛」を「はんかち」と読み、「衣嚢」は「いのう」や「かくし」ではなく「ぽけっと」と読むようにふりがなを振りました。「衫衣」で「シャツ」は漢語としての実例があるかどうかわからず、無理かとも思ったのですが、このシリーズではこの表記で統一しています。
 ともかく、新刊・旧刊とも、見かけたときにはお手にとっていただけると嬉しいです。