猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

計見(けんみ)一雄『統合失調症あるいは精神分裂病』(講談社選書メチエ、2004年)isbn:406258316X

 次の『グノーシス』の隣に置いてあったので、「萌え」論でラカン精神分析の概説書を読んだ(よく理解できなかったけど)のでいちおう関心のある分野と言うことで、いっしょに買ってきた本。統合失調症または精神分裂病を「ただの病気」であると力説し、ではそれがどういう「病気」なのかを探るという内容だ。著者は、これまで、精神分裂病は「特別な病気」であると認識され、そのわりには「ではどういう病気か?」が明確に説明されてこなかったことが、患者に対する偏見を助長するなどさまざまな問題を起こしてきたと考えているようだ。何が「分裂」または「統合失調」しているのか――つまり、この病気にかかっていないひとは何が「統合」されているのかという問題を、患者の症状や脳科学の知見を援用しながら突きつめていくという構成だ。著者が自分で書いている語り口の「柄の悪さ」は正直に言って気になるけど、横文字や生煮えの翻訳語がほとんど出てこないので理解はしやすい。
 この本を読むと、たとえば「両親の性交を目撃したことが子どもにとって心の傷になる」という議論が、厳しい道徳律と乱れた性関係が横行していたある時代のヨーロッパ社会の影響を強く受けた議論だという話が出てくる。これはフロイトの仮説か何かだそうだけど、最初にこの話に接したとき、そんなことあるのかなと疑問に思った。つまり、子どもが「性交の結果、別の子どもが生まれてきて、自分の地位を危うくする」とか、「母をめぐって自分は父とライバル関係にあり、しかも父には勝てないのだ」とか感じることが前提にあるわけだけど、子どもが無意識にしてもそこまでわかるのかなという気がしたのだ。こういうのを読むと、現代(ポストモダン?)の「萌え」論とかに絡むセクシュアリティー論についても根本のところから洗い直したほうがいいのかなという気もしてくる。
 ただ、「不潔恐怖」の話と現在の日本の「煙草吸っちゃいけない運動」を結びつけ、健康増進法を施行した日本をナチス・ドイツ呼ばわりするのは、問題を問題にする次元が違うんじゃないですかね?