猫も歩けば...

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第九――ラトルとインマゼール

 『第九』の聴き較べをずっとやっている。
 サイモン・ラトルウィーンフィル(2002年)は、第四楽章の合唱が出てくるところまでは中庸で穏健な第九かと思っていたら、歌が出てきたところで革命が起こるような感じで、なんか世界が変わってしまう。解説書にはウィーンフィルがコーラスに「爆撃を受けているかのように見えました」と書いてあるんだけど。もしかするとほんとうに合唱の前と後とで世界が変わるような感覚を演出したいのかも知れないけど、私はどうもこの合唱が粗野なだけに聞こえてしまって、いまだにこの演奏になじむことができない。なんかねぇ、「びっくり合唱シンフォニー」みたいで。でも、まあ、癖の強い現代一流のオーケストラで古楽編成で演奏したというラトル/ウィーンフィルの他の演奏も聴いてみないと、この演奏の評価は難しいかも知れないな。
 インマゼールの演奏(アニマ・エテルナ交響楽団・合唱団、この「マゼール」は誤爆だなぁ……というか本人が知ったらどう思うか。ともかくロリン・マゼールとは別人です)はともかく第一楽章の速いテンポに驚いてついていくのがたいへんだったけど、慣れてくると気にならなくなる。第四楽章の流れもラトルのものより自然に感じられる。この演奏では、第四楽章で通常の半分のスローテンポになるところがあるのだけれど、それも演奏の流れのなかでは自然に受け取れる。第三楽章までが速めなので、むしろ第四楽章が始まったところに転機があるようにも感じる。第四楽章の独唱開始までの「盛り上げ感」はこの演奏がいちばんかな? たんに学究的に古い楽器と古い編成でやってますという以上に、曲全体について一貫した解釈を持って演奏していると感じた。こうなるとインマゼールブラームスブルックナーも聴いてみたい気がする。
 第九の合唱部分の演奏では、ここをあくまで交響曲の一部として器楽中心または器楽‐声楽対等で演奏するか、歌劇のように歌を主役に切り換えて演奏するかというところで違いが生まれるような気がして、インマゼールのはどうだろうなぁ? ちょっと聴いたところでは、この時代の演奏らしく、ここで声楽主役に切り換えているような感じもするのだけど、これはもうちょっと聴きこんでみないとわからないです。
 それにしても、これからは当然ながらラトルもインマゼールも使っているベーレンライター版での演奏が主流になってくるんだろうな。