猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

アリストテレス的な発想

 3月2日の日記までつづけていた天動説の話で、ホームページにも関係するネタを書いた。そのつづきである。
 ニュートン力学が広まる前のアリストテレスの科学の発想は、土からできたものは土に帰りたがるから下に落ち、空でできたものは空に帰りたがるから火は空に向かって燃えるというものだった。鉄と木では、鉄のほうが土に縁が深いので、先に土に帰りたがる。だから鉄のほうが先に地面に落ちるのだという説明がそれをもとにしてできた。それに対して、ガリレオは、いや、落ちる速度はどちらも同じだと主張して、それを実験で確かめたわけだ。さらに、ニュートンは、りんごが地球に落ちるのだったら、同じように地球もりんごに向かって落ちているはずだと考え、万有引力という考えかたで、アリストテレス的な科学論にとどめを刺した……ことになっている。
 でも、アリストテレスの考えを「土からできたものは土の中でいちばん安心して過ごせるから、土の中に行きたがる」というふうに考え、では何が「安心して過ごせる」のかということを「いちばんエネルギーがいらない状態」だと解釈したらどうだろう?
 今日の物理学も「ものはいちばんエネルギーが低い状態になりたがる」という仮説をもとに成り立っている。そして、「だったら、すべてのものはエネルギーが無限に小さい状態になりたがるはずで、それならすべての原子で電子は原子核とくっついてしまうはずではないか? どうしてそうならないのか」という疑問から、「小さいエネルギーではエネルギーは飛び飛びの一定の値しか取れない。先にその値の場所に何かの粒子が入ってしまったら、原子核や電子のような粒子(フェルミ粒子)はその場所に入れないので、しかたなく、空いているエネルギーの値のうちいちばん小さい値のところに入るのだ」という説明が生まれ、量子力学が始まった。
 今日の物理学はアリストテレスの考えのうち「土でできたもの」と「空でできたもの」を区別するような「空間の性質の違い」を否定した。ニュートン的な「絶対空間」概念は相対論などで修正されているけれど、「土の領域」とか「空の領域」とかいう「空間の性格づけ」はあり得ないという部分はニュートンの物理学概念を引き継いでいる。だが、それが「ものはいちばん安心して過ごせるところに行きたい」ということならば、「ものは高いエネルギーを背負いこむのが嫌いで、できるだけ低いエネルギーでいられるところへ行きたがる」という考えに変化して、いまも生きつづけているということはできる。
 アリストテレスの発想は、物理的な物体に「自分の生まれたところに帰りたがる」という心の働きを想定したところに特徴がある。それが近代科学からは非科学的だと見なされるわけだ。でも、近代科学も、物理的な物体はエネルギーの低いところに行きたがると考えている。つまり物理的な物体は怠け者だという性格を想定しているわけで、アリストテレス的な発想がまったく消滅したわけではないのだ。