猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

最悪の事故

 福知山線塚口‐尼崎間で起こった事故はジェイアール史上最悪という。月並みな言いかただが、亡くなった方がたのご冥福をお祈りする。また、負傷された方がたの傷がたいしたものでなく、早く完全に恢復されることを切にお祈りしている。
 被害者の関係者のなかには、テレビのインタビューに「いまだに信じられない」と答えている方がいた。じっさい、死者が70人を超えたこの事故について、私もまだ何か現実感をもって感じられないところがある。
 昨日、最初に死者が20人を超える惨事というスポーツ新聞の見出しを見たとき、すぐに思い出したのは去年のスペインの列車テロで、「これはまたどこか外国で列車を狙ったテロが起こったに違いない」と思ったものだ。「大規模テロは外国で起こる」という思いこみ自体がまずいのだろうけど(日本でだって地下鉄サリン事件はあったわけだから)、それ以上に、「列車事故の大惨事」で考えていた想定被害のメーターが振り切れてしまった感じで、それこそ爆弾テロでもないとそんな被害は出ないと思いこんでいた。ニューヨーク世界貿易センタービルへの九・一一大規模テロが「いま進行中のできごと」としてテレビで放映されていたときにもじつは同じような感じがあったように思う。
 ふと思い出した昔の事件がある。それは、もう何年も前に起こった「中央線の電車ATS勝手解除事件」だ。解除してはいけないはずのATSを運転士が勝手に解除し、信号を見間違えて進んだら特急列車とぶつかってしまったという事件だったと思う。たしか特急「あずさ」が横転したか何かしたはずだ。あの事件のあと、運転台のATS解除ボタンにはカバーが掛けられたというようなニュースを聞き、中央線に乗ったときに運転台をのぞきこんで「ああ、ほんとにカバーがついてる」と感心したのを覚えている。
 そういえば、こないだの東武線の「踏切をまちがって開けた」事件でも、警報音が鳴っているのを解除して、準急電車が接近しているのをつい忘れてしまったというのが経緯だったらしい。
 なんか「公定マニュアル」と「現場裏マニュアル」が別々にあって、「公定マニュアル」に定めてある安全確保の手続きが「現場裏マニュアル」で省略されて事故が起こるというパターンが多い。そういえば、こないだ(東京)湾岸の遊戯施設で起こった転落事故もそんな事情があったらしいし、もっと有名で重大な事件は東海村で起こった臨界事故だろう。これも「公定マニュアル」以外に「現場裏マニュアル」があって、それにしたがって作業していたらウランが臨界に達してしまったという事情だったと思う。「バケツで混ぜる」ばっかりが大きく報道されたけれど、じつは「バケツ」工程自体にはそれほどの危険性はなかったらしい。それより臨界を起こしてしまった施設の目的外使用が致命的だった。
 で、こういう「現場裏マニュアル」が見つかると、その「ずさん」な「裏マニュアル」への批判と、それを知らなかった上層部への非難ということになるわけだが、それの繰り返しで問題が解決するかというと、しないような気がする。「裏マニュアル」が必要ってことは、「公定マニュアル」を定めて運用しているエリートの上層部が、現場で実際に困っていることを知らなかったり、軽視していたりということの表れだと思う。「成果主義」をめぐる問題なんかもそうで、現場をよく知らない上層部が「成果主義」とか言って細かい基準を決めても現場では負担が増えるだけでぜんぜんモチベーション向上にはならないという話もよく伝わってくる(だいたい現場の中間管理職さんたちは部下の成果の評価をする負担がどーんと増えるわけで、それだけでも非効率になるのはわかりそうなものだが……)。
 今回の件はまだ事情がよくわからないけれど、いま書いた「中央線の電車ATS勝手解除事件」や東海村臨界事件では、現場の人が「何をしたら危ないか」をわかっていなかったというのが事件・事故の根本にあったみたいだ。自分の仕事をめぐるいろんな事情(たとえば、ウランはどうなると連続的に核分裂を起こして大量の放射能を出すようになるか、とか)を知らないひとに、「習うより慣れろ」的な感じでいきなり現場を担当させるというのがいまの日本ではふつうなのだろうか? OJTなのかも知れないけど、なんか太平洋戦争末期に空母の飛行甲板に着艦するのがやっとというパイロットに輪型陣のまん中の敵空母を撃沈しに行かせたのに類する危なっかしさを思い起こしてしまう(もっともアメリカ合衆国側の搭乗員の腕も相当に低下していたから、特殊日本的なできごとと言い切ることもできないが)。
 そういえば、太平洋戦争末期にも、現場では惨敗しているのに上層部は大戦果に躍り上がったという「台湾沖航空戦」事件というのが起こっている。これもエリート層の現場への妙な優越感と劣等感のコンプレックスが引き起こした事件だったようだ。軍部のエリート層が、現場に近い層の提言をぜんぜん聴かないでプランを立て、で、あとで「現場でこんなに犠牲が出ているのだからきっと戦果が挙がっているはず」という現場への「思いやり」(と、現場から「こんなにがんばったのにどうして戦果を認めてくれないんだ」とねじこまれることへの恐れ)で楽観的な戦果を想定していると、とんだ現実離れした数字ができてしまったという事情らしい(台湾沖航空戦については本の評を書いたことがある→『幻の大戦果・大本営発表の真相』の評)。
 そういう「エリート‐現場」の二層構造みたいなのをなんとか清算しないと、惨事は定期的に繰り返されてしまうように感じるのだ。
 まあそれを清算するのが難しいというのも「社会人」として働いていたらよく実感はしているけどね。
 この事件がなければフランスでのバス事故がもっと大きく報道されていたはずなのに……と言ってたら今日は常磐線で衝突……? 「ひたち」はこの半年でなじみ深くなった列車なので(まあ日立電鉄に「鉄」りに行くときによく乗ったということだけど)、これも他人ごととは思えないなぁ。
 その日立電鉄がなくなった理由というのが、(廃止前に駅に貼ってあった貼り紙によると)施設が老朽化して安全運行に万全を期することができなくなったからだという。それも何かさびしい気がする。