猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

平勢隆郎『都市国家から中華へ』のつづき

 で、今回の更新では、前に id:r_kiyose:20050704 予告したとおりに平勢隆郎(正確には「勢」は上が「生丸」、隆は正字で一画多い)さんの『都市国家から中華へ』を採り上げた。また何回かに分けての分載になる。http://www.kt.rim.or.jp/~r_kiyose/review/rv0513.htm
 平勢さんの中国古代史は、独自の年代復元に基づいていたり、『春秋』が斉で作られ『左伝』はそれに対して韓で作られたという仮説に基づいていたりで、前提とその妥当性を理解するためにけっこう手間がかかる。というより、平勢さんがそういった前提を毎回きちんと説明する。その説明についていくだけでけっこうたいへんだったりする。
 1998年に中央公論版「世界の歴史」から書いている一連の一般向けの本で平勢さんが私たちに示そうとしているのは、中国の古代史も普通の古代史なのだということなんじゃないかと思う。そういう考えで私は今回の評を書いている。題名を「特権的古代史からあたりまえの古代史へ」としたのもそういう考えからだ。
 中国の戦国時代までの古代史は、その後の時代の中国でさまざまな利用のされ方をしてきた。それぞれの時代の事実がどうだったかと言うこととは別に、それぞれの時代について、後の時代から過剰なまでの意味づけがなされた。夏・殷・周の「三代」は理想時代で、春秋時代でそれが悪くなり、戦国時代はめちゃくちゃに乱れた時代になったというのがその骨格である。いつしかその意味づけがそれぞれの時代に何があったかという事実を覆い隠すまでになってしまった。夏王朝など、たとえ殷の前に存在した都市国家の一つがそれに相当するにしても、その都市国家で何があったかという事実ははっきりしない。しかし、それにはかかわりなく、後の時代につけ加えられた意味づけが巨大化し、夏王朝をめぐる事実を圧倒してしまっている。それは殷でも周でも春秋時代の「覇者」でも同じだと平勢さんは言う。
 そういう「過剰な意味づけ」がいつ始まったかというと、戦国時代には始まっていたわけで、中国で「編纂された歴史書」ができる時代からすでに歴史叙述は「過剰な意味づけ」に覆われていた。その「意味づけ」を一つひとつ剥がして、特別な「意味づけ」をされる前の「あたりまえの歴史」を中国古代史の中に見出すことこそが、平勢さんの意図なのではないかと思うのだ。
 今回の本でも「都市国家」というタイトルに最初は私はかなり違和感を覚えた。ギリシア都市国家というのは聞いたことがあるし、中国でも「都市国家のようなものがあってそれを(ゆう)というのだ」という話もたしかに聞いていたけれど、「中国で都市国家?」という違和感があったのだ。しかし、平勢さんは、今回はあえて他の地域の歴史でよく使われる「都市国家」ということばをタイトルに掲げたのではないかと思う。