猫も歩けば...

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「後漢」の謎

 別に「謎」っていうほど大げさなものではないのだけど。
 なんか中国史の本を読んでいたら、漢代の話は、秦の始皇帝の話あたりから始まって、だいたい光武帝後漢を樹立して「漢」を復興したというあたりで終わってしまう。で、次の話は、三国から、せいぜい小説の『三国志演義』で有名な後漢末のごたごたから始まる。結果として、後漢という王朝は、始祖の光武帝から、末期の桓帝霊帝まで、何があったかわからないまますっ飛んでしまう。しかも、桓帝霊帝というと「この時期に国が乱れました」(「倭国大乱」もあったそうだし)というネタでしか出てこず、『三国志演義』に出てくる「すべてを宦官任せにして王朝をだめにした暗君」以上のイメージが持てない(すみません、私の三国の知識はほとんど『演義』からです)。
 結果として、「漢(前漢)まで」と「三国から」が何かつながらない印象があるんですよね。
 そういえば、漢の歴史も、劉邦による王朝樹立がすでにクライマックスで、だめになって、文帝が立て直して、そのあと武帝が出てきてやたらと威勢がよかったけど、それが裏目に出て、あとはがたがたと行ってしまった……という「盛衰」だけの歴史で、何があったか、何が「進んだ」のかってよくわからないんですよね。その先を加えたとしても、そのあとに、新の王莽の「簒奪」(または「革命」)と、光武帝による漢の「復活」という「盛衰」がもう一サイクルつけ加わるだけで。
 でも、この漢から後漢の時代に大きな変化は起こっているはずだ。たとえば、いちどは衰退した、というより、王朝が強引に衰退させたはずの地方勢力が、後漢になったら、これも『三国志演義』に見るように復活してくるわけだし。また、匈奴との関係の変化とか、高句麗の自立とか、倭の奴国への金印の授与(発見されたものがほんものかどうか論争があるらしいけれど)とか、周辺諸国との関係も、前漢末〜新〜後漢と変化している。それで、三国になると、烏桓(烏丸)とか鮮卑といった新勢力が登場してくるわけです。
 だから、どこかの新書で「後漢」とか出ないかな、とか思っているのだけど、じつはそれはもう出ていて、私が気づいていないだけかも知れないな。