猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

探偵小説評の「書きにくさ」

 前回、『すべてがFになる』について書いたので、今回もその続きです。
 前回の文章を読み返してみるとどうも文章がぎこちないですね。
 その理由の一つは、しばらくここに書かなかったことと、あと、書いてて肩の凝る仕事の文書ばかり書いていたことでしょう。とくに、「文章のわかりやすさ」の話は、じつは仕事の文書ばかりを書いていた直後だったから考えたことかも知れない。
 仕事用の文書って、ある程度カタいことばを使わないと、まじめに受け取ってもらえない。だから、はてなダイアリーに書いた文章とか、同人誌のために書いた文章とかと較べると、私が仕事用に書いた文書の文章のほうが明らかに黒い。つまり漢字が多い。
 そして、漢字の多い文章って、読むほうはべつにいいんだけど、書くほうは苦手なんですよね。したがって、同人誌の文章を書くのは好きでも、仕事用の文書を書くのはものすごく苦手です。
 ところで、私のばあい、じつは手書きの文章は漢字がすごく多い。漢字を忘れないために、ある時期から意識的にそうしたということもあるのですが、ともかく、手書きでは漢字が多い文章を書くのが定着してしまいました。
 でも、デジタルで書くと、わりと漢字が少なくなる。変換候補で最初に漢字が出てきてもカナにしてしまったりする。で、デジタルで漢字の多い文を書くとどうも不愉快なんですね。それがなぜかは自分でもよくわかりません。私自身はやっぱりディスプレイの「画面の黒さ」の問題だと思うんだけど。あ、でも、そういえば『黄昏の大地』は私にしては漢字多いですね。「貰う」とか、ふだんはカナ書きするのに、この小説では漢字書きにしているし。
 で、前回の文章の話に戻ると、もう一つの理由は、探偵小説(ミステリ、ミステリー、ミステリィ)の批評というのはやっぱり気を遣う。とくに、『モリログ・アカデミィ』を読んで、森博嗣さんがネタバレを気にしておられるのを知っているだけに、森ミステリについては書きにくいところがあります。それに、『すべてがFになる』は、前回書いたとおり、とても緻密に周到に書かれていて、何気ない情景描写のなかにもトリックや手がかりに繋がっているところがある(と私は思うんだけど)。だから、「情景描写がすばらしい」とか書いて、具体例を挙げたりすると、なんか手がかりにつながるネタバレになるんじゃないかと心配したりする。そういうこともあるのですね。探偵小説の評は難しいと思います。
 それだけに、やっぱり探偵小説の本の「解説」というのは難しいのでしょう。コナン・ドイルとかクリスティーとか、古典的な探偵小説の解説ならばまだしも、現代の、現役の作家さんの探偵小説の解説を読むと「何これ?」と思うこともときどきあります。作品についても語っていない。どうもその作家について語っているらしいのだけど、作家についての何を書いているのかもよく読み取れない。これは、解説者に同情的に見れば、その本のネタバレは書けないし、作家紹介をしようと思っても、そうすると過去の作品のネタバレをしてしまう可能性があるので、やっぱり書くのに差し支えがある、それで何かよくわからない文章になってしまうのではないかとも思うのですが。
 一方で、探偵小説の解説で平気でネタバレが書いてあることがあって、これも困るんですけど。解説者としては伏せたつもりなんだろうけど、「そういう書きかたをすればわかるって」という文章になっていることがある。でもこれはさすがに最近は少ないように思います。