猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

銭湯消滅中

 5年ほど前まで、私の家の近くには2軒の銭湯がありました。ところが、3年前、たまたまそのうち1軒があったはずの場所の前を通りかかったのに、銭湯が見つかりません。そのときには私は道をまちがえたかと思い、地図を見て探し直してみたのですが、やっぱりない。かわりに、地図で銭湯があることになっているところには何軒かの真新しい一戸建て住宅が建っていました。どうやらあの銭湯はなくなり、跡地が高級そうな住宅になったらしい。まさに「跡形もなく」消滅しています。銭湯のような大きいものがこうあっけなく消滅するものかと軽く驚いたのを覚えています。
 昨年の夏ごろ、私の家の近くでもう一軒残っていた銭湯の前を通りかかると、「施設老朽化のために営業を終了します」という貼り紙が出ていました。冬には建物も取り壊され、更地になってしまいました。このあたりの家はみんな内風呂を持っていそうだし、通っている人も少なかったのだろうな、と思いました。
 そんなころに拙宅の風呂釜の火がつかなくなりました。さて拙宅の近くには銭湯がもうない。しようがないので、谷中に行ったついでに銭湯に行ってきました(+横浜スカイスパにも一回)。谷中はさすがに「江戸情緒」の残る下町らしく、三崎坂から道灌山までのあたりに、朝日湯、初音湯、世界湯と三つの銭湯がある。そのうち、世界湯は、風呂場の壁の富士山の絵が、雑誌の谷中特集(『散歩の達人』だったかな)の表紙を飾ったこともあります。
 それで、拙宅の風呂釜も直してもらい、しばらくぶりにその世界湯の前を通りかかったら、ここも廃業していて、その次に通りかかったらもう更地になっていました。
 これにはさすがに驚きました。
 世界湯はお客さんがそんなに少なかったわけではありません。少し前のことだけれど、夕方、暗くなり始めたころ、谷中のよみせ通りをたらいを持って歩く人を何人も見かけたことがあります。私が行ったときも、混雑しているというほどではなかったけれど、利用者は少なくなかった。
 この地域の銭湯はどこも湯が熱いのですが、私の感覚では世界湯がいちばん熱かったように思います。浸かっていてピリピリと肌が痛くなってくるような風呂というのは久しぶりでした。久しぶりに銭湯に行ってみて、思っていたより湯船が小さいんだなと思ったのですが、この温度では「長く浸かる」というわけにはいかないので回転が速く、それでよかったのでしょう。トルコ語勉強中だったので、この熱い湯で、子どものように「トルコ語で100まで数えるまで上がらない」と意地になって浸かっていたら、熱くてのぼせてしまいました。横浜スカイスパのサウナに16分入ったとき以来です。
 私は、自分の家に風呂があるので、普段は銭湯がなくなっても困らないのですが、風呂が壊れると近所に銭湯がないと不自由です。それが次々に消滅している。
 施設の老朽化がその一つの理由のようです。銭湯のできた年代を考えると、いま残っているところもそれほど遠くない時期に耐用年数が来そうな感じです。ボイラーなので、熱で膨張収縮を繰り返すので、損耗も激しいだろうと思う。
 また、拙宅近くの銭湯については、耐震基準の診断で問題ありと言われ、閉鎖したという話も聞きました。屋根が高くて中ががらんどうだから、たしかに耐震力はそんなにありそうではない。
 あと、東京では、一回の入湯料が現在では450円です。それほど安くはない。いまはどれくらい問題になるのか知らないけれど、住宅地のまん中で煙を立てるのだから、周囲からは迷惑施設と見られるかも知れません。さらに、住宅地にまとまった土地を持っているので、「再開発」したい人たちにとっては、銭湯の土地は羨望の場所でしょう。
 そんないろいろな事情があって、施設も老朽化しても更新できず、耐震上問題があっても補強できず、要するに建て直しや改築ができずに、廃業していくのでしょう。
 これも昨年終刊した地域雑誌『谷根千』(『谷中・根津・千駄木』)には「週に一度は銭湯に行こう」という提言が載っていました。世界湯がなくなったのはびっくりし、「危機感」というほどではないけれど「ぷち危機感」を持って、その後は、ひと月に二度ほど、機会があれば銭湯に行くようにしています。『谷根千』の提言の半分以下の頻度だけど。
 私が東京に住み始めたころは風呂なしのアパートで、歩いて10分ほどの銭湯に通っていました。そのころは内風呂のある部屋に住むことが「夢」でした。お給料のもらえる身分になって風呂のついた部屋に引っ越したときには嬉しかった。そうやって銭湯のことは長く忘れていたのだけれど、風呂釜が壊れたりすると、やはり近所に銭湯は一つはないととても不便だということを感じました。
 まして、風呂に通わなければならない人にとっては、帰りには湯冷めするかも知れないくらいに遠くまで行き、しかも一回に450円払って入浴しなければならないわけですから、その不便さは非常に大きいということはかんたんに想像できます。
 2000年代後半に入ってから日立電鉄はなくなる(会社はいまもありますが)、鹿島鉄道もなくなる、フェリーも次々に路線を減らしている。それで、銭湯も次々に消滅している。「採算は取れていないけれど、ないと不便」という施設が、次々に私たちの社会から姿を消しています。
 「採算は取れなくても公共性のある施設を維持するのはすべて政治の責任」ということは言うつもりはない。けれども、「採算」の単位を、基本的にその営業者に限って考え、不採算の施設は次々になくしていくという方向も、やはり、何とはなく住みにくい社会になったり、何かあったときにとても不便な社会になっていく。直接の利用者でなくても、地域とか、もう少し広い範囲の社会とかが潜在的な「受益者」だという考えを、「ばらまき」にならないように考えながら作り上げていき、「採算は取れていないけれど、ないと不便」という施設をもう少し維持できるような社会にすることを考えたほうがいいのではないかと私は感じました。