猫も歩けば...

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次は「近代」から解き放たれた人たちへ

 「佐藤通雅『賢治短歌へ』について」の第5回(とりあえず最終回)です。
 作者の佐藤通雅さんは、ご自身が歌人ですし、近代短歌史や近代短歌論にも通じておられる。そして、同時に賢治研究家でもある。それがこの本の最大の「強み」でしょう。
 佐藤さんが最初のほうに書いておられるように、近代短歌や現代短歌に関心を持つ人は、宮沢賢治にはほとんど関心を持たない。逆に、賢治ファンは近代短歌にはあまり関心がない。そういえば、啄木と賢治の関係はときどき語られるのに、啄木と賢治の比較研究というのはあまり見ない(ないわけではない)と思います。去年の宮沢賢治学会での発表で、東北の歌壇と賢治の関係を論じた発表がありましたから、これからは「短歌史のなかの賢治」という方向の研究も盛んになっていくのかな、とも思いますが。
 私もこの本から教えられるところは多くありました。とくに「近代短歌は一人称の文学である」ということには「そうだったのか!」という強い驚きを感じました。短歌をやっている人には当然のことなのかも知れませんが、私はこれまでそんなことは少しも意識しませんでした。
 そして、その「近代短歌」の束縛と賢治がいかにつきあい、賢治がその「一人称の文学」性をどうやってかわし、飼い慣らし、やがて短歌に別れを告げていったのか、ということが、作家論(伝記を含む)・作品論の両面から実証的に解きほぐされている。「近代性とどうつきあったか」ということは、賢治の短歌だけの問題ではなく、賢治に限定して考えても、詩についても、童話についても言える。賢治の個性は、「近代短歌」には合わなかったけれども、「近代詩」や「近代童話」にはびったし合った、かというと、ぜんぜんそんなことはない。詩を書いてもまた賢治は悩み苦しむことになるわけです。「これは詩じゃない、「心象スケッチ」だ」ということを気負って言ってみたり、「いや「心象スケッチ」じゃダメじゃないのか?」と悩んだりしました。童話だって、鈴木三重吉のところに自分の書いた童話を送ったら、「なんじゃこれは?」的に一発でボツにされたりしています(「ロシアでは通用するのかも知れないが」とか言われたらしい。賢治のどこが「ロシア」っぽいのか興味深いところではあるけれど)。「子どもを健全な近代人に育てるための童話」というのを期待する「近代文学」の姿勢とは、賢治の書いた童話はあまりに異なっていたわけです。まあ、このときの「タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった」という作品は、賢治の書いた童話のなかでも特別に「近代童話とは異なる」作品で、大人が読んでも(もしかすると「大人が読んだら」)なおわけがわからない作品だという事情はあるのですが、ともかく「近代童話」のメインストリームとは根本から違っていた。
 まあ「子どもを健全な近代人に育てるための童話」というのが「近代文学」のメインストリームなのかどうかも検証してみる必要がありそうだとは思いますけど。
 詩でも童話でも賢治の作品は「近代性」が想定する「文学作品」からはズレていたわけです。それも、たぶん、かなりズレていた。この本自体は、近代短歌の形式に収まらなかった賢治が詩や童話の創作へと移っていったところで基本的に終わっているのですが、それでハッピーエンドだというわけではなくて、「賢治文学と近代文学の葛藤」の序奏部分のように位置づけることもできるでしょう。
 この『賢治短歌へ』は、著者の佐藤通雅さんが、賢治研究や短歌研究を読み進めながら書いて行っているという流れが感じられるところも特徴で(もともと連載だったとのことです)、途中で「最近こんな本を読んだ」という話が急に出てきたりする。賢治短歌の評論を書いていないときにその賢治論や「近代短歌」論を読んでも、その内容は佐藤さんのなかではここに書かれているような響きかたはしなかったでしょう。佐藤さんの「賢治短歌」への思索が、賢治研究や短歌研究との出会いと絡み合って発展して行くようすが、「ライブ感」をもって描かれていると感じました。これを、お行儀よく、最初に「先行研究の紹介」をまとめてそのあと自説を展開する、という形式にしてしまったとすれば、この本から感じられる「熱気」はずいぶん冷めたものになったのではないかと感じます。
 さて、この本は、「賢治の短歌はつまらない」という「近代短歌」側からの発言に抗して、「いや、もともと賢治短歌は近代短歌とは違うものなのだ」ということを論証することに重点が置かれています。したがって、「では、その近代短歌という視点をはずして読んだら、どうなんだ?」という問いには十分に答えていないところもあると私は感じました。
 それがどういうところかというと、一つは、「近代短歌」より前の「和歌の一ジャンルとしての短歌」との関連です。当時の教育のなかで、賢治が「和歌」に触れる機会は多かったはずです。啄木や北原白秋だけでなく、そういう「古い和歌」から賢治が何かを引き継いではいないのか、ということは、この本ではあまりよくわからないと感じました。後に五七調・七五調を基本とする文語詩を作ることを考えれば、「古い和歌」にまったく無関心だった、あるいは「近代短歌」のメインストリームが「古い和歌」に感じる反発をただ共有していただけ、などとも考えられないのですが、その問題関心は必ずしも正面からは採り上げられていません。
 少しだけ触れたように、賢治の短歌は必ずしも「五‐七‐五‐七‐七」の字数を守っていないのではないか、という問題があって、この「古い和歌」との接しかたがここに関係してくるかも知れません。もっとも、明治の文語詩でもさまざまなリズムが試みられましたから、その影響かも知れませんし、だいたい短歌を作り始めた最初の時期というのは平気で字足らず・字余り、それも激しい字余りとかをやってしまいがち、ということもあるだろうとは思います。でも、一方で、賢治は後の文語詩では未完成作品を除いて「字余り・字足らずなし」という作風を守っています。『万葉集』の長歌をいまの私たちが読むと、五七調とかに収まっていない作品があって、「歌の古いかたち」ってこんなのだったんだな、と感じる。そういうのの影響はないのか。あるいは「訓読された漢文」の影響があるかも知れない。賢治は「訓読漢文の創作」というのを童話「二十六夜」でやっていますから、それの影響が短歌のリズムに及んでいるかも知れません。そういうことは、この本では本格的には探究されていません。
 また、賢治短歌のなかで、読者に強い印象を残す方言短歌についても、この本では「挿話」的に触れられるだけです。
 それに、「サイケな短歌」にも時期ごとに特色がある、ということは、私はこの本から大いに教えられたわけですが、「サイケな短歌」自体の読み込みが十分に展開されているとも言えないところがあります。
 頭のなかを跳ね歩いている「赤いめだま」の動物とは何なのか? べえでないのは確かとして(それはそうだ)、何なのか? 「星めぐりの歌」からすると「赤いめだま」というと「さそり」で、たしかにさそりは節足動物なので「関節(関折)」が多い(内骨格の関節ではないけれど)。それで「さそり」は「魔もの」とも書いているわけです。さそりの群体が脳の中を「跳ね歩いている」としたら、相当に気もちが悪い。でも、さそりではないかも知れない。
 そこからさらに行くと、この「さそり」にしても、佐藤さんの本にも出てくる「月」にしても、また金星にしても、すごく魔的で不吉な印象と、とても清冽で神聖な印象が、一つの題材に即して歌われることがあります。これは短歌だけではないと思います。賢治のなかでのこの「聖」と「魔」のスレスレの近さの印象というのは、もしかすると賢治の本質に近いところにあるのかも知れない。この本では、「近代短歌 対 賢治短歌」という構図が中心になっているので、そういうところまで論じつくしてはいません。
 でも、たぶん、そういう問題は、「文学における近代性っ!」みたいなものに青筋を立てていなければならないという意識からはまったく無縁な、「戦後」よりもずっと後の人たちが論じていくべき問題ではないかと思います。戦後の「前衛」も、明治後期の「近代」がそのままでは通用しないことを感じつつ、それでも「近代」にこだわったわけですね。私はよく知らないけれど。そのこだわりすらない世代こそ、もしかすると、賢治の短歌を、もっと広く言うと賢治作品を存分に論じられるのかも知れない。「戦後」を知っている世代に、賢治が生きた時代に近い、したがって賢治が生きた時代の「文学」の状況にじかに接しているというアドバンテージ(有利さ)があったとすれば、その後の世代は、むしろそれを知らないことをアドバンテージにできるのではないか。
 これからの賢治作品の読まれかたの可能性は、いろいろあるけれども、アニメとかゲームとかラノベとかに親しんだ人たちのなかで、賢治作品は新しい感受のされ方をするのではないかと思います。たとえば、眼が赤い動物の群れが脳の中を跳ね歩く、と読んで、ただちに『叛逆の物語』の一場面が思い浮かんでしまう(だって群れになって出てきたじゃない?)ような人たちのなかで、です。これは私は機会があるたびに言っていることですけれど。とくに、賢治の短歌というのは、「近代」にとらわれない人のほうがより豊かに読める可能性を大きく持っているジャンルなのではないかと思います。