猫も歩けば...

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黒田基樹『戦国大名の危機管理』吉川弘文館、2005年 isbn:4642056009

 少し前に、職場からの帰りに電車に乗るために駅まで行ったのに、ホームまで上がる元気が出ず、思わず駅近くの書店に寄って衝動買いしてきた本のうちの一冊だ。
 「戦国大名の危機管理」というタイトルだけど、どっちかというと「村の民衆と戦国大名」みたいな感じの内容かな。いま、途中の「永禄の飢饉と構造改革」の最初の「徳政令」の節まで読んだ。
 戦国大名が危機に対応しながら、危機への対応を機に制度を改革し、支配を強めていくというような内容だ。「危機管理」というより、地域の最高支配者として危機にどう対処したかが主題になっている。それは、戦国大名が、領民が危機で手も足も出ないのを利用して、支配を強めていったというのではない。危機に対処してほしいという要求が「村」から上がってきて、それをほうっておくと、税金が上がってこないとか、住民が逃げ出して村が荒れ地と化してしまうとかいうせっぱ詰まった事態が起こっているのだ。荒れ地になってしまうと、もちろん住んでいた本人も農業生産ができなくなるから困るし、そこからの収入に依存していた大名にとっても困ったことになる。
 つまり、戦国大名の支配権力強化は、危機のなかでの村の民衆の意向に応えるものでもあったということらしい。
 これを読んで感じたのは、まず自然災害の被害の大きさだ。地震とか台風とかである(これから読む部分で飢饉が出てくるようだ)。
 この本で主人公として登場しているのは、伊勢宗瑞=北条早雲から始まる後北条氏北条氏康である。その領地は、伊豆半島と小田原を中心とする一帯――つまりユーラシアプレートと太平洋プレートとフィリピン海プレートとが複雑にぶつかり合う地帯の真上だ。で、1549(天文18)年に村の住民の大規模な耕地放棄が起こっているのは、どうやら地震がきっかけらしい。1558(永禄元)年の危機はどうやら台風被害とそれが関係する凶作らしい。自然災害の脅威というのは、戦国大名にとって、もしかすると隣国の大名が攻めてくるとかいう以上の脅威だったのかも知れない。それはそうだな。大地震とか、東京大豪雨とか、ニューオーリンズのハリケーンとか、近代国家でも大自然災害に襲われて大被害を受け、対策が後手後手に回るというのはよくあることだもんね。
 しかも、この地震のほうは、(後)北条氏のほうでは記録に残っていなくて、武田氏の甲斐の記録に頼って、危機の実情を推定している。このときの北条氏の対応も鈍かったようだ。ともかく、被害調べそのものの記録がなく、被害に対応して出された政策の記録だけが残っているという史料の残存状況は、その当時の社会とか、災害とか歴史を調べるときに注意しなければいけない点を示唆しているようでもある。悲惨な被害を伝える記録がないからといって、被害そのものが存在しなかったとは言い切れないわけだ。
 もう一つは、前近代の権力の性質についてだ。東浩紀大澤真幸自由を考える』では、近代以後の政治権力が「生権力」――つまり支配される人びとを生きさせるための権力であるということに特徴を求めていた。でも、この本を読むと、近代よりも前の支配権力も立派な「生権力」だったのではないか、と感じる。支配者は、「生権力」として役割を果たすことができなければ、支配者の地位を失うというシビアな立場に置かれていたのではないか。近代より前の支配者の権力は、人を恣意的に殺すことができる権力だったという見かたはまったくあたっていないのではないかというように感じる。
 では、戦国大名の「生権力」も、現代国家(または「ポストモダン」国家)の「生権力」も同じ性格の権力だったのかというと、そうでもないと思う。そのへんはまたこの本を最後まで読んでから考えてみたいと思っている。