猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

ナショナリズム論とルソー

 どこで行き詰まったかというと、ナショナリズムの話に、とつぜんルソーの話が出てきて、そこに話題が移るところでです。
 ルソーといっても、もちろん画家のルソーではなく、思想家・言論家・音楽家ジャン・ジャック・ルソーのことです。ところで「画家ルソー」といったばあい、アンリとテオドールの二人いるんだね。今回調べてみてはじめて知りました。
 それはともかく、ここでなぜルソーが出てくるかというという事情はわかります。その前の国家論の議論で「主権」の話題が出てくるからです。
 たしかにルソーの社会契約論では「主権」論が一つの特色です。分担論や「チェック・アンド・バランス」(「抑制と均衡」)の概念で「主権」をいくつかに分割する議論に対して、ルソーは、人民(国民)に基礎を置く「主権」は分割できないと論じました。このルソーの議論が、一方では、ルソーが人民の権力を唯一最高のものとした民主主義者であるという評価に繋がります。他方で、この「人民に基礎を置く権力は唯一不可分で絶対である」という考えかたが近代の政治的独裁を基礎づけたという批判も出てきます。
 だから、「主権」論からルソーへと話が繋がるのはわかる。わからないのは、それがナショナリズム論と関連づけて論じられていることです。なぜわからないかというと、私には、ルソーの社会契約論は、「ナショナリズム」とは縁遠い議論のように思えるからです。
 なお、「ナショナリズム」はさまざまな意味で使われることばだと思いますが、ここでは、この「共同討議」の趣旨も考えて、「国民国家を形成する論理・思想」という意味で使いたいと思います。