猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

今回は「科目としての理科嫌い」の言いわけが使えないので

 そのことを糸口にして社会契約論について議論したいのですが、その前にお断りです。もう今回は「科目としての理科嫌いだから自分の書いてることが正確かどうかわかりません」という言いわけができないので、そのかわりの言いわけです。
 私がルソーの『社会契約論』を読んだのはかなり前のことです。だから忘れているところもずいぶん多いと思います。また、『社会契約論』は、少なくとも私にとってはけっしてわかりやすい書物ではありませんでした。ですから誤解しているところもあると思います。
 そこで、ルソーの『社会契約論』について私が何か議論するには、少なくとも『社会契約論』をもう一度読み直す必要があります。でも、その作業は別に進めるとして、今回は、なぜナショナリズム論にルソーが出てきたことに違和感を感じたかを中心に話を進めてみたいと思います。