猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

ルソーについての「中間報告」

 更新が半月空いてしまいました。すみません。
 忙しかったり、なかなかネットに接続できなかったりという事情が主な理由ですが、前回、社会契約論とナショナリズムなどという大きい話題を振りすぎて、風呂敷をどう閉じようかと考えあぐねていたということもあります。
 ルソーの『社会契約論』も含めて、社会契約論に関係のありそうなものやなさそうなものを非系統的に読んだりして、考えてはいるのですが、やっぱり難しいですね。
 とりあえず、ルソーが「民族的な要素」をまったく考えに入れていなかったわけでもなさそうだということはわかりました。ただ、それは、「民族」が、生まれ、活発な少年時代を経て大人になり、やがて年老いていくという、人間の一生のサイクルに似た経歴をたどるという「民族」観の下で書かれていて、やはり、文化や共同意識、共通の歴史的体験などで結ばれた今日の「民族」の観念とは異なるように思います。
 また、ルソーは、何でも「一般意志(一般意思)」から説明しようとしているのではなく、「ルソーといえば一般意志」という思いこみから見ると、ずいぶん「一般意志」の出番を限定しているという印象もあります。
 いま『社会契約論』の第2巻の途中まで読んでいて、そこまでの「中間報告」として、そんなことを感じている、といったところです。