猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

これではルソーに対して不公平ではないか?

 もちろん、そんなことは、東さんや北田さんをはじめ、この「討論」の参加者にはわかりきったことなのでしょう。それに、だからといって、ルソーの社会契約論を使って、後の時代に確立した「ナショナリズム」を語ってはいけないというわけではありません。
 でも、それをやるんだったら、違う時代の考えをルソーの考えから外挿しようとしているのだから、必要な手続きがあるはずです。しかし、この「討論」ではその「手続き」がまったくなく、ナショナリズムから唐突に話がルソーに移っているという印象を強く受けるのです。
 それで、その手続きをやらないで、ルソーの考えはわかりにくいとか、奇妙だとか、ルソーには方法論がないとか言うのは、やっぱりルソーに対して不公平ではないかと思うのです。