猫も歩けば...

― はてなダイアリーより引っ越してきました ―

ルソーの時代のヨーロッパに「ナショナリズム」思想はあったのか?

 ルソーの社会契約論は、「言語や宗教を含む同じ文化を持ち、歴史的記憶を共有する集団」としての「民族」を基礎として国家を成立させるという発想とは違うと思います。それは、ルソーの「先輩」格の社会契約論者であるホッブズやロックでも同じでしょう。
 『人間不平等起源論』などを読むと、ルソーが「未開」社会の存在は知っていることはわかります。しかし、古典時代のギリシア・ローマの伝統と記憶とを引き継ぎ、カトリックプロテスタントキリスト教文化を持った地域以外の「文化」集団を、国家を形成する段階に到達した人間の集団とは考えていないように思います。
 つまり、ルソーにとっての「国家」は、ヨーロッパ文化を共有した人間の集団の上にしか存在しないはずです。
 しかも、現在ならば、「ヨーロッパ」のなかにも、言語の違いもあれば宗教の違いもあり、ラテン系かゲルマン系かケルト系か、それともバスク系などかといった区別もあると見るわけですけれど、当時はそのようなヨーロッパ内部の「文化の違い」もそれほど強く意識されていなかったように思います。