猫も歩けば...

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「社会契約論」と「ナショナリズム」は時代が違う

 とりあえず「国民が国家の主体になる」という「国民国家」の考えかたがヨーロッパではフランス革命から始まったとしましょう。けれども、フランス革命は「カトリック」文化に対する「理性」文化を主張するなど、「ヨーロッパ文化全体の革新」という価値観を持っていました。むしろ、フランス革命の価値観を受け入れるかどうか、フランス革命体制を擁護するかどうかが「フランス国民らしさ」の内容になっていったわけです。
 もっとも、その「革命文化」・「革命体制」のなかみが、革命の時代には激しく入れ替わったわけですから、その「根」の部分には革命前から意識されていた「フランスらしさ」は存在したのでしょうけれど。ちなみに、佐藤賢さんの百年戦争についての研究によると、「フランスはフランス人のものだ」という意識自体はジャンヌ・ダルクの時代からあったらしい。日本でいうと室町時代ぐらいかな?
 ヨーロッパの「ナショナリズム」は、そのフランス革命と革命フランスのヨーロッパ支配に抵抗して、イギリスやドイツで生まれてきた。それも、少なくともバークやフィヒテなどの思想家の構想に関するかぎりは、まだヨーロッパ文化全体に通じることばでイギリスやドイツの独自性が語られていたのではないかと思います。それが、次第に「ヨーロッパ文化一般」について語られなくなってきて、「○○人は○○人の国を作るべきだ」という「ナショナリズム」の発想が定着していったのではないでしょうか。
 ただし、「ナショナリズム」が、その国民や民族を超える一般的な理念を語ることなしに成立するかというと、完全にそうなることはない。
 ほかの国の人たちに「私たちはあなたたちとは違うんだよ」と主張するためには、相手に国の人にも通用する理念をある程度は語らなければならない。さらに、自分の国民や民族を「自分たちはほかの国民や民族とは違うすばらしさを持っているんだ」と説得するためにも、やはり「一般的な理念」を語る必要が出てくる。それで、「われわれの国民は個人の自由と民主主義を擁護する」と言ってみたり、「われわれの国民は家族をたいせつにし秩序を愛する」と言ってみたりするわけです。だから、「ナショナリズムを語ることば」が「一般的な理念を語ることば」と完全に切れてしまうことはないわけで、「一般的に通用する理念を論じていればナショナリズムではない」と言ってしまうことはできない。
 けれども、そういうことを考えに入れた上で、「われわれは○○人なのだから、○○人の国を作るべきだ」ヨーロッパでのナショナリズムの成立は、「教皇‐皇帝‐国王‐諸侯」という中世以来の体制が「形だけのもの」としても役立たないことがはっきりした18世紀末以降と考えていいのではないかと思います。
 そして、フランス革命の時代にも、ヨーロッパとは別の文化を持った「異教徒」の文化が、ヨーロッパの人びとと同じような「国」を作りうるとは考えられていなかったのではないでしょうか。オスマン帝国とかペルシアとか清とかの「国」がある以上、「異教徒の国」が存在することは否定できないとしても、それはヨーロッパの「国」とは違う。聖書に出てくるアッシリアバビロニアやペルシア、古典時代のギリシアを「侵略」しようとしたペルシアなどと同じような「旧式の国」と考えられていたはずです。その旧式の文化を基礎にして、「ヨーロッパのような国」を作ることなどありえないと思われていたはずです。
 だから、フランス革命時代にも、「文化や歴史的記憶を共有する民族という集団があって、それを基礎にして国家を形成すべきだ」というナショナリズムは、まだ「萌芽」程度にしか存在しなかったのではないかと思うのです。
 ルソーはそのフランス革命時代より前の時代の人なので、ルソーの社会契約論と「ナショナリズム」は別の時代のものと考えたほうがいいでしょう。